こんばんは、ともすけです。

『平家物語』 その3です。

この『平家物語』は平安末期の平家六代の話ですが、歴史を知らなくても楽しむことができます。また、高校レベルの歴史、古文の素養があれば十分その文化的深みまで味わうことができると思います。要するに日本の文化に触れていれば誰でも楽しむことができるものです。

 

 

 

 

冒頭。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。紗羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。」

 

 

このフレーズ、『らんま1/2』の九能帯刀という登場人物を思い起こさせます。彼には祇園精舎の鐘の声が聞こえていたのだろうか・・・ポーズだとは思いますが・・・。

 

 

「祇園精舎」とは古代インドのコーサラ国の大きな寺の名前です。そこに無常堂というものがあることを覚えておきましょう。無常堂は坊主が死を待つときの建物です。無常堂の四隅には玻璃の鐘があります。その鐘が鳴っているわけです。ではなぜ「鐘の音」ではなく「鐘の声」なのか。

 

「諸行無常

 是生滅法

 生滅滅巳

 寂滅為楽」(雪山偈)

 

おそらく祇園精舎の鐘の音が声のように響いてきたのでしょう。僕たち日本人には馴染み深い自然観、輪廻転生の思想というものが現れています。この当時流行った浄土思想は念仏を唱えることにより阿弥陀如来に極楽浄土へ導いてもらえるというものでした。

 

 

沙羅双樹というのは釈迦が亡くなるときに横たわったときに東西南北の隅に生えていた樹の名前です。釈迦が亡くなると成長し、北と南、東と西が1本になり、釈迦の上で葉を茂らせ花を一気に咲かせたといいます。

 

 

ここまでで「白」のイメージが伝わってきます。祇園精舎の鐘は白銀です。雪山偈の雪山はヒマラヤです。そして沙羅の樹は白い花を咲かせます。釈迦の死を沙羅双樹の白い花で表してもいます。釈迦は2月15日に亡くなりましたが、季節的に白い花を咲かせない沙羅の樹が咲かせたということには奇跡の意味もあります。これは一見すると死を白のイメージで表しているようにも取れますが、これは「無常」を白のイメージで表しているととるべきでしょう。

 

 

続く。