2023年の暮れ

実家に叔母がやってきて

娘(私にとって従妹)が

新居を建てたというので

その場所の

住所を教えてもらいました。

 

その場所をGoogleMapで見ると

同じ地区に「行きたい場所」として

登録している箇所があり

従妹の家の帰りに参拝してきました。

 

戸板山神社(大日如来磨崖仏)

2023年12月30日(土)

 

といたやまじんじゃ(だいにちにょらいまがいぶつ)

住所: 福岡県那珂川市南面里1049−1

この地名は「南面里」と書いて

「なめり」と読みます。

南に面した里であるから

南面里と呼ぶという
(『続風土記より』)

 

ここは那珂川市。

福岡県那珂川市が発行する書籍

『儺の国の星』にこちらのことが

載っているかも?と思い

本を開きました。

 

 

書いてある箇所は

見当たりませんでしたが

『儺の国の星 拾遺』115ページに

「南面里」と書いて「ゆつも」と読む

記述を発見。

 

熊毛なる郡名は周防と大隅(現在の鹿児島県)の二国に在る。また郷名は豊後国東(現在の大分県)に在る。元来は〝ゆすも〟(あるい)は〝ゆつま〟と呼んだ(ところ)であった。南十字星を葉広星(はびろのほし)南面里星(ゆつまのほし)または三重星(みえのほし)と言った。由都麻(ゆつま)とは南方のことであった。

 

熊毛という地名は元々

「ゆつも」あるいは「ゆつま」と

呼んだ所だったようです。

 

南面里(ゆつま)」とは

南十字星の和名です。

 

那珂川市の南面里とは

関係ないかもしれなけど

気になって調べていました。

※画像は中日新聞さんからお借りしました

 

かつて、南十字星を背景にして

海上の(みち)を辿った民族がいたとのこと。

その人達の道標になる

地名の付け方だったのかもしれません。

 

ただ、「ゆつま」が「熊毛」に

変わった理由はわかりませんでした。

 

現在の日本で「ゆつま」「熊毛」と

名の付く場所を探してみました。

※那珂川市南面里の読みは「なめり」

新しい場所ではありますが

2015年、九州-パラオ海嶺(かいれい)にある

海山に名付けられた

水深1855mの南面里(ゆつま)海山

(Yutsumanohoshi Seamount)も

見付けました。

今回の熊毛・ゆつまとは関係ありません悪しからず。

 

東京都沖ノ鳥島は

パラオと近いのですね。

(といっても遠いけど)

壱岐聖母宮に奉納されていた

パラオ産大シャコ貝の

手水舎を思い出しました。

話は戻りまして

⇧赤い点線で囲まれた箇所が

山口県熊毛郡と

大分県国東市の熊毛地区です。

周防灘を隔てて同じ熊毛の地名

何か意味がありそう。

 

地名由来辞典によると

山口県熊毛郡は

古代からの郡名「熊毛郡」、

「和名抄」は周防国「久末計(くまけ)」郡と

訓じている。

「クマケ」は、名義不詳、

「クマ(隈=こもる)・ケ(場所)」の意か。

また古代、周防国造の根拠地で、

クマ(神)の地に通じるか。

 

山口県の熊毛に気になる山名もあり、

印をつけてみました。

「皇座山」の名は安徳天皇伝承地のため

付いたそうです。

「大星山」は熊毛神社の前身が在った山

なのだそう。

 

南面里(なめり)のある福岡県那珂川市も

安徳天皇伝承地ですが

話が広がり過ぎるので

ここでは割愛します。

 

大分県国東市の熊毛地方は

大熊毛と小熊毛があります。

 

星座の「おおぐま座」と

「こぐま座」が思い浮かびました。

 

しかし、北の空の星座なので

南十字星とは関係なさそう?

北斗七星は「おおぐま座」の一部で

おおぐまの腰から尾にあたります。

大分県の熊毛の地図を細かく見ていると

大熊毛川と小熊毛川があり

その両川近くに日吉神社がありました。

 

『儺の国の星 拾遺』116ページによると

昔の古訓で

冬至に日輪がのぼることを

”ゆつまのひのあかり”と

言ったそうで

これを「日吉」と書くのは

平安時代に入ってから。

”ゆつま”とは陸間、即ち

「南北に延びた河谷の南端」

表現したことのよう。

 

鹿児島県の熊毛郡は

種子島、屋久島、口永良部島

にあたります。

 

また、

興味深い謡を発見しました。

 葉広(はびろ)()つ真椿 ()が花の

 照り(いま)し ()が葉の(ひろが)(いま)すは

 大君ろかも      

 『古事記・下』 磐之姫(仁徳天皇の皇后)

 

真椿まつばき由都麻都婆岐ゆつまつばき):

神聖な椿の木

清浄で、神霊がやどる椿の木

 

葉広も「ゆつま」も

南十字星の和名とされています。

磐之姫の読んだ謡の中に

2つも南十字星の名があるので

面白いと思いました。

葉の広い椿が

南十字星の形(クロス)と似ている

ということでしょうか。

そんなことを想像していました。

社頭

猪除けの柵があります。

柵はスライドして中へ入れます。

 

 

 

 

 

 

鳥居

山神社とあります。

社殿

菊の御紋があります

御祭神は大山祇命

社殿と薬師堂

 

鷹(鷲?)と松の彫刻

 

二羽の鶴と松の彫刻

 

七福神

 

薬師堂

 

地蔵尊

 

 

 

大日如来の摩崖仏

 

幅15m、高さ8m

江戸時代に貝原益軒が記した

続風土記によると

摩崖仏が彫られた岩戸は

天岩戸神話で投げられた

二つのうちの一つ

という伝説の岩なのだとか。

南面里の北側の地区はかつて

岩戸村といいました。

現在も岩戸小学校など

名前が残っています。

天岩戸は筑紫にあるという

伝説によるものです。

戸板山の戸板という地名も

この伝説が由来のようです。

また、伏見稲荷大社の元宮と伝わる

伏見宮では今でも

毎年7月14日に岩戸神楽が奉納されます。

 

 

つい先日知ったことですが

舞仲間に伏見宮関係者がいました。

温かみを感じる

素朴な摩崖仏です。

境内に

(てん)書体(しょたい)と思われる文字が彫られた

石碑がありました。

最初の文字は「木」だと思いますが

他の字は何と書いてあるのか

くずし文字解読アプリを使っても

不明のままです。

どうにか、もう少し調べてみます。

 

 

境内図

『郷土史那珂川』171ページより

現在那珂川市図書館はリニューアルに伴い

令和6年6月まで閉館しています。

 

従妹の新居がきっかけで

随分話が広がってしまいました。

従妹の家訪問については

アポなしで伺ったため

休日出勤中で不在でした。

旦那様はおられたけど

室内には上がらずに

中庭で失礼しました。

 

世界一の猫好きを自称する従妹。

猫を9匹飼っているそうなので

会いたかったです。

2人住まいの割に大きな家だったのは

多分、猫仕様の造りで

キャットウォークやキャットタワーが

造り付けられていると思われ…。

家を見るのも大好きなので見たかったです。