光雲神社

2024年2月10日(日)参拝

 

20代の5年間半務めた会社の

氏神様だった神社さんです。

今屋のバーガーさんに訪れた日に

初参拝させていただきましたお願い

 

 

てるもじんじゃ

住所:福岡県福岡市中央区西公園13−1

20代の頃

職場の近くだった西公園で

花見が行われていました❀

酔っ払いは荷物と一緒に

台車で会社まで運んでいました。

当時は神社に全く興味がなかったため

光雲神社の存在すら知りませんでした。

二の鳥居

一の鳥居は参道を南に300Mほど

下った場所にあります。

相棒さんを一人

今屋のバーガーの順番待ちの列に残し

私一人での参拝です。

大水牛兜の手水舎

黒田長政公の幸運にあやかり

篤志により制作、奉献されたもの

母里太兵衛像

「もり たへえ」と読みます。

太兵衛は通称で本名は

母里 友信さん。

安土桃山時代から

江戸時代初期にかけての武将。

黒田氏の家臣です。

 

記事を書きながら

このお方

どこかで見たことがあると思ったら

福岡県では

熊の木彫りの置物と同様…

 

 

昔はどこの家庭にもあった

「黒田節(黒田武士)」の

モデルとなっているかたでした。

 

 

我が家のは

ガラスケースに入っており

もっとスタイルが良く

美しい水色の袴をお召しでした。

 

『〽酒は呑め呑め 呑むならば 日本一(ひのもといち)

 この槍を 呑み取るほどに

 呑むならば これぞ真の 黒田武士』

(福岡県福岡市の民謡 黒田節)
 

狛犬

阿吽共にお顔だけ

参道の外側を向く 珍しい狛犬さん

この日は2月10日

梅の花が咲いていました。

社殿

参道脇の藍色の幟が

戦国時代を思わせます。

文字がないのは何故だろう。

扁額

御神紋は「藤巴紋」です。

 

◆御祭神◆

黒田官兵衛孝高(如水)公

 

官兵衛さんの生涯を簡潔に書きますと…

 

播磨国 姫路生まれ

戦国時代から江戸時代初期にかけての
武将・軍師

キリシタン大名でもあった
(洗礼名はドン・シメオン)

明智光秀による本能寺の変のあと、
秀吉の「中国大返し」を成功させた。

 

戦国の三英傑(さんえいけつ)に重用され

筑前国福岡藩祖となる。


京都伏見藩邸にて死去。享年59。

 

戦国の常識であった側室は一切持たず

1人の妻を愛し続けていた

愛妻家としても知られます。

 

奥様である光姫様の墓地

 

 

福岡県では有名な

如水庵の筑紫もちは

黒田官兵衛の隠居名

「如水」に因んだものと思われる。

 

 

調べた訳ではなく、

誰もがわかりそうな私の想像。

 

この筑紫もち

韓国人の間でヒット中なのだとか。

天井の謡鶴

 

お賽銭を納めるとセンサーが反応して

鶴が一声鳴きます

(本物の鳴き声の録音)

拝殿の天井部に描かれた

吉兆を現す雌雄の丹頂鶴に合わせた

仕掛です。

 

かつて光雲神社が鎮座していた

舞鶴(福岡城跡)の地名に因んで、

木原信画伯により描かれたものです。

 

鶴は天にまで届く声を持つ美しい鳥で
天と地を繋ぐ神様の遣いと言われてきました。

また2羽の鶴は「夫婦鶴」とも呼ばれ、

一度結ばれると生涯連れ添うといわれます。

その習性から

夫婦円満の意味も持ち合わせています。

 

鶴は片方が死んだら、

もう片方も追うように死んでしまう
ことも珍しくないとか。

 

ペンギンも一夫一婦制だと

何かで見聞きしたことがありました🐧🐧

 

ちなみに

仲の良い夫婦のことを

「おしどり夫婦」というけれど

この鳥は毎年パートナーを換えるそう笑

 

今回、敢えて鶴の声の音声を

とりませんでした。

気なる方は是非ご参拝ください。

 

本殿

 

堅磐神社

堅盤(かきわ)神社」と読みます。

・黒田官兵衛の祖父・黒田重隆

・父である黒田職隆

・2代藩主黒田忠之公

・六代藩主・黒田継高公の14女

阿津(厚)姫の四柱が祀られています。

荒津神社・日吉神社

この荒津山(荒戸山)

山の守り神として

神武天皇、大物主神、海の神「金毘羅神」

を祀ったと伝えられます。

御朱印

 

幸運の鈴

光雲神社の読みは「てるも」だけど

「こううん」とも読めることから

名付けられた鈴

画像はHPからお借りしました

顔出しパネル

一人だから武士になれず…残念

駐車場にいらした

強面風猫さん

西公園の中司孫太郎稲荷神社近く

谷口崇さんと326さんの作品