私をとても可愛がってくれていた叔父が下咽頭ガンで87歳で天に召されました。末期ガンになっているとは1週間前まで全く状況を知らなかったので、本当にあまりに突然のことでショックでした。



 

コロナ禍ではありましたが、板橋カトリック教会でのミサ、告別式は親族と一部の友人のみで厳かな暖かいものでした。私もパイプオルガンを弾いてお祈りしました。

私と妹が本格的にピアノを習うことになり、桐朋学園の木内修子氏に師事したのも齊藤氏の紹介でした。私は途中でピアノを辞めてしまいましたが、妹は現在、アメリカでピアニストとして活躍しています。

 


叔父のおかげで幼少のころから、日フィル定期演奏会には良く聴きに行っていました。その生のオーケストラの音の迫力に圧倒され音楽のすばらしさを体感しました。

日フィルの裏磐梯の合宿にも小学生のころは毎年1ヵ月近く帯同し、毎日、オーケストラの練習を聴きながら過ごしたことを思い出します。その時に指揮をしていたのは渡邉暁雄氏、山本直純氏、小澤征爾氏でした。小澤さんや山本さん(当時は指揮をするおじさんと思っていました)たちと一緒にバーベキューをしたり、オーケストラのメンバーとソフトボールをしたり、ヨットに乗ったりしたことを思い出します。そのころの私は、世界を代表する偉大な指揮者たち、音楽家たちという認識は全くなかったのです。

 

来日した、レオポルド・ストコフスキーの指揮するコンサートや小澤征爾氏のマーラーなどは美雪ちゃんとっても勉強になるから聴きにいらっしゃい。と声をかけてくれました。今になってなんてすばらしい経験をたくさんさせてもらったのかと感謝するばかりです

のちに、TBSの「オーケストラがやってきた」「軽井沢音楽祭」など数々のクラシックの音楽番組をプロデュースしていたので、収録などに行けるときは聴きにいっていました。

高校生になったころからその偉大さがだんだん理解できるようになりましたが、ありがとうもしっかり伝えられないままでした。ただ、最後の数日、従妹から、聞こええるみたいだから電話を耳に当てるからね。と言ってもらい、電話口で、ありがとうを伝えました。きっと届いたと信じています。
安らかにお眠りください。 アーメン

 

**齊藤明(サイトウアキラ)氏 は東京芸大の千葉国夫先生にクラリネットを師事。昭和30年の創設期の日本フィルハーモニー交響楽団に入団し演奏家として活動を開始。その後、新日本フィルハーモニー交響楽団の創設に携わり50代で退団。

その後は音楽プロデューサーとして「オーケストラがやってきた」など山本直純とオズミュージックでたくさんのコンサートの企画制作に関わった。晩年は、京都国際音楽学生フェスティバルに関わり、音楽一筋の人生を送った。