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父(享年75歳)の7回忌を迎え
父を思い出す事が最高の供養だと思い
この連載を書くことにしました
父(三男)は熊本の貧しい農家の
4番目の子どもとして生まれました
一番上の姉(初子)を筆頭に
その下には男五人(一男・二男・三男・四男・五男)
の6人姉弟そんな父と私のお話です
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初めての方はこちら から
父の荷物を整理していると、こんなものが出て来た
父がダンスの先生をしていた頃
生徒さんに配っていたものである
.
父の会社のクリスマスパーティーで
一緒にジルバを踊ったことを思い出し
もう父と踊ることは出来ないんだと思うと
淋しくて・・・悲しくて・・・胸が張り裂けそうになった
孫たちの就学状況である
『高校卒業』の後には『大学・短大?』と書かれている
.
きっと、それぞれの孫たちが高校を卒業したら
どういう方面に進むのか
ひとりで想像しながら、楽しみにしていたのだろう
想像すると~涙が溢れて止まらない
.
その表に書かれている78才まで、父は生きられなかった
全身の涙が一気に溢れだす
.
母は財産分与の話を持ち出した
.
「貯金はそんなにないけど・・・
お父さんの会社の株があるの
今売れば500~600万にはなると思う
それに、この家は名義を朝彦に変えようと思うのよ
お母さんにしても、またすぐに変えないといけなくなるから
どうせなら、もう朝彦にしていた方が良いかな
って思うのよね」
すると、兄は言った
「家の名義は母さんにしてくれ
万が一、俺が先に死んだら・・・
家は聖子(嫁)のものになってしまうだろ」
兄はお嫁さんとうまく行っていなかった
お互い言い分はあるものの~『離婚』と言う言葉が
頭を離れない生活を何年も送っていた
.
「そうよ
ぎりぎりまでお母さんが家もお金も持っていた方が良いって
私は財産分与は放棄するわ」
私は言った
.
妹も「私も放棄するから手続きしないとね」と言う
.
それでも母は・・・
「じゃ~取りあえず100万円ずつあげるから」
「だめよ
今から、まだまだお金は必要よ
もし、私たちにお金をばら撒いたら~
ここに寄り付かなくなるかもよ」
「あんたたちに限ってそんな事はない
って信じてるよ」
「私はわかんないわよ~~~」
私は今までお金の事では苦労してきた母に
自分のために使って欲しかった
.
借金生活から始まった父との結婚生活
.
マイホームも立て
人並みに老後の資金も貯める事が出来たのは
当然、父の頑張りもあったと思うが
母の力が大きかったと思っている
.
父の服も整理した
.
「あっこれ・・・」
タンスの片隅にあったのは~
高校を卒業して就職した私が
初めての給料でプレゼントしたポロシャツだった
25年も前のものである
.
私は手に取り、広げてみた
.
襟の付け根はほころびて色も褪せ
雑巾のようにボロボロになっている
そんなポロシャツが大切にしまわれていた
.
「お父さんはそのシャツをとても気に入ってて
お母さんが捨てようとすると『捨てるな』って
珍しく怒ってたわ
よほど、気に入って買ったのね」
「ちがうよそれ・・・私があげたものだから・・・」
「えこれだったっけ
あ~~~だからね」
そして私が父に出した便箋10枚の手紙を
大切に保管してくれていた
その手紙は照れくさくて面と向かって言えなかった感謝の気持ちを
父が元気なうちに伝えておきたいと思って
70才の誕生日に送ったものである
.
母の話によると、父はその手紙を
何度も何度も読み返し、目をうるませていた様である
思い切って文章にして良かったと思った
.
私はいろんな事を後悔している母とは違い
出来るだけの事はした
淋しいけど・・・悲しいけど・・・辛いけど・・・
自分なりにやり遂げた感があった
.
まだまだ親孝行はしたかったけれど
後悔することは何ひとつ見つからなかった
.
~(203)へ続く~
.
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