今日は、なんの連絡もないので、
16時に施設に行く。
珍しく、娘2人と3人で訪問。
素直に喜んでいた母である。
何ってことない話をして帰ってきた。
母が、私が死んだらあの家はどうするの?
売ったらどう、あーでも死んだ後のことまで采配振るう必要ないか、
と言っていた。
全くだわ、ようやくわかったらしい。
死んだ後のことまで、
ああしろこうしろと、うるさくてしょうがなかったのだが、
やっとわかったらしい。
今、私たちが面会に行く前に、
オキノームを頓服で飲んでいるとのこと。
よって、
とても、よく喋る。
苦しくないらしい。
オキノームすごい。
さらに背中にも、フェンタニルを貼っているとのこと。
疼痛ケアがとてもうまくいっていてありがたい。
ただ、もう体を起こすことはやめてもらっている。
寝たまま、電動ベッドで起こしているわけ。
あんなに嫌がっていた電動ベッド、である。
上体を起こしただけで、息苦しい様子。
行きたかった家のことも、忘れてきているようで、(行きたかったことも忘れているかも)
見取り図を書いている、と言っていたけれど、
実は、今は文字を書けない、ので、
数日前のことを言っている様子。
最近、日記帳を書いていないらしいので、今日も心穏やか。
動かないので、食事も出来たようで、
今日は比較的元気だった。
トイレは、未だに自分で行っている。ただし、ドアまで車椅子使用。
今日はご飯を食べたとのこと、10割、つまりほぼ完食したらしい。
すごいね、よかったねと思う反面、
食べたらトイレに行きたくなると思い、
そうすると便秘が心配。
オキノームを常用しているので、
むしろ食べると苦しくなるのではないかと・・・
ここまで来ると、食べても苦、食べなくても苦、なんだろうな・・・
とにかく、4日を過ぎることが出来て、気持ち的に私はほっとしている。
夫が、これなら後1ヶ月ぐらいいけるんじゃな?というので、
ちょっとイラッとした。
やっぱり、わかってないな。っていうか、冗談なのか本気なのかわからん。
母が、
4月4日が縁起が悪くて嫌だ嫌だと、ずーーと言っていたので、
まさか、その4日が命日になってしまったら、
残された私たちも後味悪いから、
なんとか、5日まで頑張って欲しいと言っていたのだった。