ロマンティストってこんな感じ(^^)/

ロマンティストってこんな感じ(^^)/

相変わらずロマン主義で生きてます(^^)

子供たちにいつも伝えていること。


何色が好きでもいいし、

どんなキャラクターや遊びを好きでもいいし、

誰のことを好きになってもいい。


性別や生まれた環境で決められてることなんてない。


自分が大事なものを大事にすればいい。


運動が得意でも苦手でも、

人前で話すのが得意でも苦手でも、

給食食べるのが早くても遅くても、

それはそれぞれの個性だから、

笑ったり笑われたりするようなことじゃないし、

色んな人がいて一緒の世界で生きてることを

知ってて欲しい。




子供は、仕方ないとしても無邪気に人を傷付けることがあるので、我が子たちが自分の家族や、カタカナ名字がどうやら大半の人と違うことを指摘されることがあるかも知れない。


だけど自分がそれでいい、そのままでいいということを自分で知っていてほしいし、ありのままの自分を好きになってくれる人を見つけて欲しい。


そして周りのことも、ありのままのその人を認めて受け入れていって欲しい。



絶対に自分のことを否定的に考えて欲しくないし、常に自分がありのまま愛されてることを知っていて欲しい。


その前提がなければ、信頼関係も築けないと思うので。












なんか、そんなこと言ってたら何が多様性なのかわからなくなってきて…笑


色んな人がいて色んな考えがあるって思ったら、

何も言えなくないですか?笑


こんなこと言ったらこう感じる人がいるのでは、

これはこう感じる人がいるのでは…


みたいな配慮がめちゃくちゃいるじゃないですか。


もうそんなのは多様性の暴走です←


多言語表記を全言語にしないといけなくなってくるじゃないですか!笑


全ての提供食をビーガン、性別や年齢はタブーでトイレは全てジェンダーレス、バリアフリーであだ名は廃止…


そうやっていけば平和で誰もが幸せなんでしょうか。


多分そうではない。


そうではないのであれば、誰も傷付けないって、無理なんじゃないのか。


そもそも誰かを傷付けたとしてもちゃんと自分の思ったことを言うのが正解じゃないのか?


じゃあ結局は人を傷付けてもいいのか??


???



迷走中(笑)









これは実話に基づいたフィクションとして読んでいただきたいのですが、亡くなったおばあちゃんはとても優しく、幼少期には毎日のように家に入り浸っていました。


家族が大好きで、昔ながらの慣わしを大切にし、親戚一同集まるのが好きな人でした。




そんな祖母の家に、長男(私の叔父)が結婚して同居を始めることになりました。


これは祖父母の意思ではなく、長男夫妻の金欠が理由だったそうです(笑)



近所に住む私や私の兄弟はだんだん成長し、祖母に会う機会もなくなっていきました。


祖父が問題児だったのは記憶しています。


肝臓悪いのにお酒飲んだり、車乗るなと言っても勝手に出かけて事故したり。


晩年は大変だったようです。



そして祖父は早くに亡くなったのですが、やがて祖母にも認知症の兆候が現れ、施設に入るまでの間色々と大変だったみたいです。



私からすれば、大事なおばあちゃんです。


だけど、同居していた私の従兄弟たちも大変だったかも知れません。


そして私の叔父、叔母も苦労したと思います。


もしかしたら早く施設に入れたくてたまらなかったのかも知れません。


私の思うおばあちゃんと、従兄弟の思うおばあちゃんは、きっと違う。



もしかしたら従兄弟たちは、自分の母を苦しめる祖母が嫌いだったのかも知れないです。


でもこちらからすれば、頼んでもないのに勝手に同居して金銭面で依存、そして介護が辛かったと言われても。


色々消えた金もあるので(笑)


それをもってお口にチャックでお願いします。


と思ってしまう。


施設に入れるのが遅れたのも、お金がかかるからという理由のようでしたし、消えた金は???あの金使って???

って100回ぐらい思いました。笑


でも向こうからしたらここまで同居してきた我々を褒め称えよぐらい(笑)


こんなことがあって大変だった、あんなこともあったといつも苦労話。




でもうちの母からすると、もっと早くに適切な対応をしていたら認知症の進行ももっと穏やかやったんじゃないのかとわだかまりが残るわけで。












これ、永遠にわかりあえなくないですか?笑


なぜならどちらも悪くないから。


どちら側の話を聞くかによって悪者は変わるし、でもそもそも悪者はいなくて。



世の中ってこういうことばかりじゃないですか?


どちらかが100%悪いことは、犯罪とされていると思います…笑



だから、もう結局誰も傷付けないなんて無理で、傷付いた人への配慮も一定で区切らないと無理で、つまりは個々が自分をしっかり持って自分らしく生きるしかないんですよね。


一人ひとり違ってもいいと子供には教えているけど、それはすなわち「違うことに対して疑問を持ってはいけないのか?それは悪いことなのか?」と思わせているのでは…

と考え始めて、もはやわけがわからない全部不正解(笑)


まぁ、家ではいいけど外では色んな人がいるから、誰かが傷付いたり不快に感じるようなことは言わない方がいいよ、とは言ってます。


それでいいのかな。


多様性を認めるということが、自分の気持ちを蔑ろにするということに繋がるんじゃ…ってちょっと考えすぎの極み(笑)




でも結局自分がその立場に置かれていないとわからないことも多いし、理解できない人もたくさんいる。


こういう人もいるんだー(遠い目)

で流すか、理解できるように努力するしかない。


そして犯罪を起こす人の心理について書かれた本読んでます←


こういう人もいるんだーって流せることもあれば、流すには憤りを感じすぎてもやもやを消化出来ない時もあるじゃないですか。


そして子育てする身として、子供を犯罪者に育てるわけにはいかないので、どうすれば防げるのかなーと思ったり。


いや、我が子見ててこいつヤバいなって兆候があるわけじゃないですよ←


でもやっぱりこの世に愛されて生まれてきたであろう人が犯罪者になるまでには何があったのかなーと思うわけで。


恐らく自分には経験のない感情なんだろうと思うと、考えても一生共感出来ない。


ということはせめて本でも読んで、なるほどなるほどーと思うぐらいしか出来なくて、それが最大限の歩み寄りなのかなと。


相互理解というのは本当の意味ではできないから、妥協したり諦めたりして相手を許していくこと。


子供たちに伝えたいことは、世の中の全ての人に配慮しろってことじゃなくて、どんな人に出会っても自分の理解の域を超えていても、まぁこんな人もいるのねーと許していける強さを持って欲しいということです。


それは、「自分が自分らしく生きること」

「ありのままの自分が愛されていると理解すること」が根本にあれば、後は人生経験を経て強くなっていけるはず。






なんか、最近SNSでよく目にするんです。


まぁ、AIが私にそれを勧めてるだけの可能性もありますけど。


怖い怖い。


はい、何を目にするかと言うと、


「当事者じゃない限りこの気持ちは絶対にわからない」


といってそれ以外の意見を遮断する形で発信する人。


いや、わかります。


嫌な人多いですもんねネットなんて。笑


さも善人のような顔して人のこと傷付けてくる人もいるから、そういう人には黙ってていて欲しいと。


わかるんですけどね。


なんか、あなたたちには絶対にわからないからと遮断されても、じゃあどうするつもりなの?と。


一生耳障りな意見は見ないようにして生きていくのかなーと。


そういう気持ちもわかるけど、前までこんなに目にしたかなー。


AIの仕業かな。笑



個人の見解です、あなたの感想です、といった極論と多様性がごちゃまぜになって、知らぬ間に言語統制?みたいな感覚。



世の中色んな人がいて色んな価値観があって、

理解できることも理解出来ないこともあるけど、

色んなことに歩み寄る努力や知る努力で、

世界はもっとまろやかになるのでは。


今のままでは、理解出来ないこともある、終わり。


理解出来ない人は何も言うな、終わり。


みたいな感じで、なんだか寂しいなと思います…



否定のない世界は楽ですけどね。


ふふ、よくわからなくなってきたので終わります。






子供たちに伝えたいことまとめ


世の中には色んな人がいて、

宗教や文化の違い、言語や思想の違い、

色々あるけども、

あなたたちは

ありのままのあなたたちでいていいし、

他の誰もがそうやって生きる権利がある。


だけど世の中に色んなことがあることをこれからたくさん勉強して知識を付けて、バックグラウンドを理解出来れば、もっと人と人は繋がれると思うから、そういう本当の意味でのグローバリズムを学んでいって欲しい。





まぁそんな感じのことを伝えていけたらいいなと思います。


自分とは違う!


でシャットアウトが必要な時も多々あるんですけどね(笑)


全部が全部そうじゃないことはわかってて欲しいなと思います。


子育て難しいわ。笑


なんか長くなったので終わります。笑