2023年2月19日(日)
日曜日のお昼ごはんはまた駅弁。
草津駅 今昔 近江牛すき焼き辨當
(南洋軒)
でも今回のは何だかレトロで厳かな雰囲気の折詰の佇まいでうずうず。
すっき焼きー♪ あそれ すっき焼きー♪
飼い主のすき焼き弁当食べる会を見学する会の高見のにゃんず
じゃーん
あれ…?
すき焼きにしては具が少ないではないですか!ヽ(゚Д゚≡)ノ
と思って、考えることなく知らないで食べてしまうと
とても残念なことになってしまいます。
今回はこの一折のすき焼き弁当から、
日本の鉄道の歴史やすき焼きの変遷、牛肉食が広がった明治時代にまでを、
いつになくまじめに馳せ拡げていきながら、お弁当を味わうお話です。
当時の明治時代を復刻した
すき焼き辨當
通常版の「近江牛すき焼き弁当」(南洋軒)
は、半熟の温泉卵ものった、見るからに現代版のすき焼きで、これはこれで普通に販売されていますが、
実は鉄道開業150年を記念した駅弁というのが主に西日本で2022年10月から販売されていて、その当時の復刻版として南洋軒からも販売されたのが
こちらの 「今昔 近江牛 すき焼き辨當」なのです。
2022年から150年前というと
明治5年(1872年)
当然、鉄道開業といっても現代のように東海道本線は東京から関西方面までつながっていません。
お弁当の販売店「南洋軒」さんのサイトを見てみると、
明治22年(1889年)7月 創業日。2代目南 新助草津駅で国鉄立売営業の申請と許可を受ける。
とありましたが、実はこの年の同じタイミングで何があったかを調べてみると、
明治22年(1889年)7月 東海道本線全通(新橋 - 神戸間)
と、南洋軒さんの営業地「草津駅」を含む東海道線が全通していることから、
この歴史的な鉄道網の広がりを商機ととらえて営業を開始したのではないかなぁ
と伺われました。
「すき焼き?」「牛鍋?」
明治の文明開化とともに、欧米の食文化がたくさん取り入れられた中にも「牛肉」を食べる文化が広がりを見せたのも明治初期です。
文明開化の様子を記した『安愚楽鍋』に描かれた牛鍋を食べる日本人。
(国立国会図書館蔵)
元々、日本人の仏教の戒律的に牛肉どころか肉食や卵を食べるということも避けられ続けてはいたものの、欧米人が日本に滞在するようになって、外国人向けに牛をさばく業者ができ始めたりしました。
徐々に日本人の間でも「すき焼き」としてこの時に需要があった滋賀県の近江牛が近畿圏で広がり、神戸からの船便や鉄道の発展によって東日本にもそれが「牛鍋」として伝わっていったようです。
明治4年、仮名垣魯文は著書『安愚楽鍋』で
「士農工商老若男女賢愚貧福おしなべて、
牛鍋食わねば開化不進奴(ひらけぬやーつ)」と表現していた
参考)↓もっと詳しい牛鍋の歴史はこちらから↓
▼牛肉を日本人が食べるようになったのは明治時代⁉ ─牛鍋の歴史と文明開化─
▼福沢諭吉が奨励した肉食文化!学問のすすめに加え肉食のすすめも!?
南洋軒「すき焼き」辨當のはじまり
駅弁の掛け紙表面の半分ものスペースを占めて記載されている
当時の何かを書いたもの‥。
読まないで「ぽいっ」ってしちゃいがちですが、これを読むとお弁当がきっと10倍おいしくなりますよ?
ほぼ旧字体なので、あらすじ的に飼い主が翻訳しました。
鉄道局に提示しようとする書類の写
営業継続の御願い
本年4月1日より9月30日までの6か月間、御廰の草津駅構内において
鮓 辨當 姥ヶ餅 菓子 果物 鶏卵 寸燐 ラムネ 氷水 茶
の立ち売り営業準備をします。
※「御廰」
「廰」は「庁」の旧字体。
当時、鉄道は国鉄で鉄道庁鉄道局の管轄だったので「御庁」
※「鮓」
は「鮨(すし)」のこと
※「寸燐」
はマッチ。マッチは燐(リン)と硫黄からできていますが、「ちょっと」という意味の「寸」を付けてマッチと訳すなんて、漢字のあて方がおもしろいですね。
冥加金として1か月3円を毎月前納ができます。
万が一、ご指定の期日に収めるのが滞るような場合は
保証人をおいて引き受けお納めすることができます。
上記の間で許可いただきたく、保証人との連署をもって
なにとぞお願いいたします。
本人 南 新助
保証人 南 良吉
明治廿六年3月4日
鉄道廰 御中
※「冥加金」
江戸時代、商工業者に課せられた営業税江戸時代、商工業者に課せられた営業税。
※「3円」
明治時代当時の貨幣価値で1円=現代の2万円くらいでした。
なので、6万円くらいを「しょば代」で払いますよ、と。
※「明治廿六年」
「廿」とは、二十(にじゅう)/十が二つ横に並んだ形からなどの意味をもつ漢字。
なので、明治26年ですね。
では、創業4年後に全線開通を受けて、営業継続の依頼を出しながら
こんなお弁当を作って駅構内で売られていたんだなぁ‥
と、当時のイメージを想像しながらいただきましょう。
「すき焼き」「牛鍋」の当時の味
牛肉が甘く、これが「近江牛」のうま味なのかぁ‥
と、醤油味の割り下とあいまって食べなれた「すき焼き」の味です。
現代の「すき焼き」というとこの醤油味の割り下が欠かせませんが、
明治の初めの牛鍋は牛肉とネギを使った鍋料理全般を指し、味付けや他の具材などはまちまちだったようで、特にこれといった決まりはなかったようです。
そういえば最近、ずいぶんと
「北大路魯山人の愛したすき焼き」
と題して、「牛肉」と「ねぎ」だけが当時のすき焼きだったのを再現してみたということをモチーフにした動画を目にすることが多くなりましたが、
「なぜ牛肉とねぎだけだったのか」
と深掘りして考察している動画はまだ観たことがありません。
牛肉を食すようになった明治の初期では、まだ今の時代と違って肉の臭みを抑えることに苦労していたと色々と記されていました。そのために臭み消しで「ねぎ」を使っていたのではないかな‥?と推測されますが、それと同時に醤油は江戸の後期ごろから出始めたので、味の繊細な醤油ではなく味噌で仕立てるのも一般的だったようです。
今でも岐阜県の飛騨牛と朴葉と味噌で「朴葉みそ焼き」はポピュラーでおいしいですもんね。
そして、錦糸卵が敷き詰められた部分の下にもごはんが控えているのですが、
この部分だけごはんの表面が「かっちかち」です。。
なんだこれー!
ごはんがかっちかちじゃないですかー!
どうなってるんですかー!ヽ(゚Д゚≡)ノ
と、早合点してはいけません。
これは、
「おこげ」
なのです。明治時代の当時のお弁当のように、まさかそんなところにまで
歴史を再現されていたのか!驚
この駅弁一つから150年近くの背景や歴史がおかずになりながら
当時をしのんでいただくのも味わいの一つですね。
参考文献)
「牛鍋」はどんな鍋だったか-『安愚楽鍋』を中心に-
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/KG/0009/KG00090R212.pdf
↑食の起源とかをおもしろいと思う方は一度読まれてみるとよいです。
* * *
いつもぴとっとありがとうございます。
大学の頃、確か人文系の一般教養の講義で日本語の古書の「くずし字」をおもしろいなぁ‥って熱中して受けていたのを思い出して、それが役に立ちました。笑
南洋軒さんの営業許可の書類はほぼ漢字と旧字体ですが、送り仮名にもくずし字がところどころに使われています。
それを言っちゃあ、日本の憲法でも商法や刑法なども同じような文体の書き方ですけどね‥。
めずらしく鳥さんの動画を至近距離で観ているぽんちゃん。
遠目に鳥は見たことがあるけれど、間近で見るとこうなのかぁ‥
どう?ぽんちゃん。
たまに見るとおもしろいでしょ?
春になって暖かくなったらまた旅行に出かけてみようかね?