愛知、名古屋の歴史史跡を歩く会で安城市の安祥城址見学会

愛知の城跡や名古屋城の歴史史跡を歩く愛知ウォーキング城巡りクラブで安城市の安祥城(あんしょうじょう)に行ってきました。安祥城は戦国時代に織田と今川・松平が奪い合った激戦の城です。ここには本多忠勝の名前の由来となったものが残っています。

 

 

 

  祖父と父の墓

安城市に残る本多忠豊の墓碑

忠勝の名前の由来になったものとは、祖父と父の墓です。安祥城争奪戦は資料によって異なりますが3~5回ともいわれ、とにかく多くの人が亡くなりました。その中で本多忠勝の祖父と父も討ち死にしています。

 

 

安城市大乗寺に残る本多忠高の墓碑

本多忠勝の祖父と父は城を持った土豪で、合戦に出ると今でいう指揮官クラスの人物です。最前線の足軽はもちろん、その指揮官も討たれるという激しい合戦だった事がわかります。

 

 

 

  そしてゆらい

本多忠勝が元服する時の名前の由来について書かれた岡崎市教育委員会の説明板で説明

忠勝は幼名を鍋之助(なべのすけ)といいました。元服して成人の名前にする時、祖父と父が討ち死しているので、この子だけは出陣しても『ただ勝つのみ』であってほしいという願いで忠勝(ただかつ)と名付けられたとか。

 

 

 

  私の感想

岡崎城の本多忠勝銅像にある鹿図脇立兜

現在でも子どもに名前を付ける時、親の願いがこもった名前が多いです。それは戦国時代も同じことだと思いました。ところで本多忠勝と聞くと、山田裕貴さんを思い出します。あの山田忠勝はスゴかった。とうぶん頭から離なさそうです。

 

 

 

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愛知、名古屋の歴史探訪の会で城巡り散策ウォーキングの様子

愛知県の城址や戦国史跡を現地集合解散で巡る城の会・【愛知ウォーキング城巡りクラブ(AWC)】。活動は夏季を除く毎月第一土曜、もしくは日曜日。城好き、戦国好きの集まりですが知識の多い少ないは関係なし!好きならそれでOKです。入会費や年会費などもないので、あなたも気軽に遊びに来てみませんか?

 

 

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