夕方、メールを覗くと実家の家族からメールが届いており
親戚のオジさん・・・・・70くらいの人なのだが脳と胃に不調が見られ
脳はアルツハイマーの気配があるかもしれない。
娘さんは仕事を休んでなんとかかんとかと書いてあった。
また、先程知り合いからのメールに一緒に暮らしていた祖母が急に亡くなったと知らせが入っていた。
こういう知らせを聞くと4~5年前の今頃に亡くなった祖母の事を思い出す。
祖母は8月頃急に脳梗塞で倒れ丁度今くらいの季節に亡くなった。
入院中は病院が近かったこともあり頻繁に面会に行ったり看護士(当時は看護婦)さんに頼まれた着替えを持ってたりした。
また担当の先生も非常によくしてくれたことを記憶している。
ただ一方で入院が1ヶ月2ヶ月経つにつれ何、俺の親が覚悟したかのように看病をしていた節もあった。
だから俺も自然にそういう覚悟が出来ていたのかもしれない。
これは今思えばそんな風に見えた感じたということなのだが・・・・・・・
もう祖母がなくなって久しくなるが墓参りする度にうちの親はこう言う。
「うちのバアさんは天寿を全うした。生きたい様に生きていた」
昨今、天寿を全うする前に命を自分で絶つ人がいたり
また、言われも無き大人の力によって未来を絶たれる子供のニュースを聴いたりすると
人間にとって死と老いは避けられないものではあるが
自分の天寿を全うすることが如何に困難なことかを痛感させられる。
もうバアさんと一緒に過ごすことはないが
バアさんは俺だったり俺の親だったりにそういう風に語られることを望んでいるのだろうな、きっと。
だからここで少しだけ語らせてもらったよ。