こういうブログを作るにあたって、そのスポーツとの出会いとか、思いとかを書いておいた方が、後々のためにも良いかと思われるので、そこはかとなく書いてみます。

まず、出会いの時系列で行くと野球から。

御多分に漏れず、私の家庭も野球好きでした。
ただ、特定の球団を応援することは無く、特定の球団が負けることに喜びを感じていました(笑)

そんなわけで、小さい頃から野球をテレビで見たり、球場で観たりしていた少年時代。
放課後、学校の校庭で行われていた少年野球の練習に興味を持ったのはごく自然なこと。
仲の良かった友達が入団したと聞いて、私も釣られて入ったのです。
ポジションは、最初は1塁で、後にキャッチャー。
どっちも受け手の「的」が大きいから、というのが理由(笑)

成績はチームも個人もそこそこという、何とも中途半端なまま、小学校5年生の途中で退団してしまいました。
理由は、中学受験をするため。
毎週日曜日に学力テストがあったので、これでは両立が難しいということで無念の決断でした。

その後、野球は観る側に転向。
そして、生まれて初めて特定のチームを応援するようになりました。
それは西武ライオンズ。
しかしそれも、僅か数年で衝撃の試合を目にしたため、ちょっと方向転換。

その試合とは、1988年10月19日の、いわゆる「10・19」ロッテvs近鉄@川崎球場。
近鉄がシーズン残り2試合を連勝すれば逆転優勝、というまさに土壇場のダブルヘッダー。
結果は御存知の方の多いと思いますが、近鉄の1勝1分。まさに「厘」の差で西武が優勝。
この年の日本シリーズは、西武が中日を4勝1敗で破り優勝。
この時の会見で、石毛選手が「これで近鉄の選手たちに顔向けが出来る」と語った姿に感動したものです。
それ以降、特定の球団を応援するというよりは、「頑張れパ・リーグ」的な立場になりました。

なので、昨シーズン起きたいろいろな騒動は、正直辛いものがありました。
88年のシーズンにも、老舗球団が2つも身売りするなんていう悲しいこともありましたが、今年は2チームの名前が変わり、1チームが新規参入なんていう、もっと激動の年。
でも、これを乗り越えたからこそ、今シーズン以降はもっともっと盛り上がるようになるのではないかと期待もしています。

それと、私が高校3年生の時、ラッキーにも母校が甲子園出場を果たしました。
まさか自分が通ってる間にそんな機会が巡ってくるとは思ってもいなかったのでビックリしました。
本大会では残念ながら池田高校に1回戦負けを喫してしまいましたが、とても良い思い出です。
学校全体があんなに一つになって応援したのって、6年間通っててあの時だけでしたから。
ちなみに当時の2年生に、大リーグ行きを表明している井口選手がおりました。


ところで私は、右投げ左打ちなんです。
理由?
それはイチローのように「足の速さを活かすため」でもなく、松井秀のように「右だと打ちすぎるからハンデとして」課せられたわけでもなく。
単純に「テレビ中継で右バッターのフォームを、合わせ鏡のように真似していたから」というのが正解(笑)
親も「このまま放っておけば左打ちになる」と思って、放っておいたそうです。
世の中、そんなもんよね(笑)