3/20〜3/24、おとうちゃんと息子。 | リゲッタつくってる兄さん達の日記。

リゲッタつくってる兄さん達の日記。

僕たちは『楽しく歩く人をふやす』ために存在しています。




3/20、水曜日。春分の日。


この日は八尾西武→リノアスへ。

ちょっと早く着いたからコーヒー屋さんで朝飯食べてたら案の定しょうちゃんがいてたのでちょっと喋ってから会場へ。



総本山的なところ。



前の日は友安製作所さんがドーンとやってたそうです。

うん、パイの実の香りが残ってるわ。




二日間じゃなくてワンデイになってしまいましたが、初のTOCを受けさせてもらっていました。

↑まさかこんなところで会うとは…の星野玄さん。





二日間にした方がいいのは何となくわかってるけど、タイミングや待ちきれず…で受講しましたが、なるほど来てよかったです。




この日の最後。

自分の会社の工程の中でボトルネックを見つけよとする一時間。生産管理工程、品質管理工程、製造工程、出荷工程、デザイン開発工程、外部営業工程とか情報共有工程とかいっぱいある中で、現場のメンバーがいるわけではないからかなり高いところから見ておりました。

まー、ペンも進まなければ付箋も減らないんですがね。こういうもんはだいたい経営者がボトルネックとなるもんだと思っておりますので精進してまいります。



インストしてくださった初対面の森本さんも勝矢さんと。

皆さん、懇親会は不参加みたいだったのと森本さんも断食後で食事を取れないそうだったので次回以降にお預けさせていただき、


取締役3人で近所のお好み焼きさんでしっぽり。

コロナ禍になってからは取れるコミュニケーション量は1/5くらいになった感覚がありますので積もる話もいっぱい。仕事できてあと1周なのよね。まだまだ勉強してできるところまでやりきりましょう。






3/21、木曜日。


ビックリするくらい寒かった1日でパッチを投げ捨てた自分としては震えるばかり。

温めたくて。(食べ終わった頃にはTシャツになりたかった)



お昼過ぎはコロンブスさんとお話したり。今までと営業に来られる方が変わってきましたね。まぁ考えてみれば自分は靴をやって30年、靴の業界にずっといてたことがないんだけど。




夜はハーパーが引率するアトツギBASEという会で福岡のアトツギさんの前でリモートお喋り会90分。【組織づくり】【評価制度】【採用】という自分が下手っぴなお題ばかりで、聞いている人たちにとっても再現性がなく異空間なお話だったかも…と思いますが、自社なりにアレンジしたり、一つの例として今後のビジョンに組み込んでくれたら幸いです。

しかーし、自分には「こうすればこうなる」みたいなメソッドが一つもない。「まぁいっか」と思うようにしてますが、なんか見つけたいなぁと思う今日この頃でもあります。(たぶん無理)






3/22、金曜日。



朝は関西みらい銀行さんと商談。

有志の話だけでなくチームビルディングとかファシリテーションの話も。



週一回くらいのペースで上嶋と一木とランチに行ったりしてるんですが、たまたま「ランチ始めました」って居酒屋さんがあったので飛び込んでみる。


鶏焼き肉弁当という名のランチ。

一木に「生でいけるやつやで」ってお勧めしようと思ったけど、



ちゃんと焼いておきました。




昼は大阪シティ銀行さんと商談。

万博の話題も並行しながらになります。




夜は天満に移動して。


「立ち飲み行きましょう」ってマテリオの山口さんが言うから、

立つのしんどいから座って飲めるところにしました。


ちょっとずつつまんで。

この後はネタがほぼ無くなった立ち食いのお寿司つまんで。



最後はワイン飲みに行って、

23時過ぎまで飲んでたみたい。業界の話もこれからの話も含めていろいろ喋ってました。最近業界の人と雑談できてないのでもう少し頻繁に情報交換せんといかんと改めて思ってます。


山口さん、また行きましょう!






3/23、土曜日。


出勤日だったんだけどごめんねー。

誉之のバレーボール卒団式があったのでそこに参加させてもらってました。


朝8時半に学校に送り届け、

午前は練習や景品の当たるイベントをやって、お昼からはこの日の目玉である【親子試合】を。


誉之はこのチームに5年生から参加してます。妻は週二回の練習に付き添い、土日はほぼ試合で大阪各地に遠征という中、初の参加で少し居場所がない自分は体育館に入るなりいろんな人に初めましてのご挨拶と御礼をしておりました。ほんまに誉之がお世話になってます。



親子試合、怪我するのが嫌なので試合に出るのは当日までずっと断ってました。(景子さんは出る気マンマン)でも周りのお父さんに「ほまくんパパ出ましょう!」って誘われたら断れず…で、

なぜか34年ぶりにバレーボールのコートに入りました。自分だけジーパン、ペラペラの靴でございます。(でもこう見えて中学はバレーボール部やったんす)



相手コートには誉之。

サーブが回ってきた彼に「お父さんとこに来い!」って言ったら、コントロールがめちゃくちゃよくて4連続できちんと狙ってくる。


なのでき4回とも綺麗にレシーブしてセッターに返しました。昔取った杵柄ってやつです。目をちゃんと見て狙ってくる彼になんかしんみりして嬉しくて。あぁ、こんなに狙ってサーブを打てるようになったんだなと。これまできちんと練習してきたんだなと。誉之はレギュラーではないけどサーブが堅実で成功率が高いことからピンチサーバーになれていると聞いておりましたが、噂通りしっかりやってました。

ただ息子のサーブを受けただけですが親子で会話できてる気になってじんわり。


試合(今時は21点制になってんのね)を終えて、ヘロヘロになってその後はまた練習試合を見学。



子供達だけの試合、




誉之のサーブ。





6連続サービスエースとか決めてる。こいつやるやないか。




で、急遽サプライズで始まる2回目の親子試合。

もう一度誉之と対決。



34年ぶりといえど調子も上がってきた。また誉之のサーブを受け切って親の威厳を見せてやろやないかい。と臨んだんだけど、


サーブを受けるたびに、「あぁっ…、」「うわっ…」って左右に4連続で振り回され。


→ボロボロにされました。一試合目と違って手元でグイグイ変化するし重たくて早い。




後で聞いたら、


一試合目の対決ではお父さんを気遣って本気じゃなかったらしい。



クソガキ、舐めやがって。

おかげで腕も脚もビシバシに痛いやないか。

まだまだいけると一瞬でも思った48歳の情熱を返せ。




そんな中、頑張る母のサーブをご覧になってください。↓

怪我には気をつけんとね。




運動神経のない父親ですが親子で試合できてよかったです。昔バレーボールやっててよかった。成誉と自分は一緒にいる時間は多少長かったけど、誉之とは仕事の関係であまり一緒にいれなかった。そんな中でこういう機会があったのは最高に嬉しかったんです。体は痛いけど疲れは吹っ飛んでるし、一生忘れることのない時間になると思います。




近畿キッズというバレーボールチーム。

この二年間は監督、コーチ、保護者もめちゃくちゃ大変だったと聞いています。子供達に素晴らしいことをしてくれていると感じました。



17時半、小学校の体育館を出て東大阪アリーナに移動。



ここから卒団式の本番らしく、6年生の親子は手を繋いで会場に入場させてもらえます。

抱っこはあかんらしい。




すごい広い会場。

子供と保護者、コーチ達で100人くらいいてる。



いろんな設営をしてくれているお父さんお母さん達すごい。

↑誉之への記念品。5年生のお父さんお母さんがやってくれたそう。



子供達のこれまでの記録を長編の動画にしてくれていたり、


子供から親への手紙読みコーナーがあったり。


みんな読みながら泣いたり笑ったりだったけど、誉之の場合は定型分を棒読みするという彼らしい感じでこっちが爆笑しました。君はそれくらいが「らしく」ていいや。


三時間いっぱいそんな時間を過ごさせてもらいました。朝から12時間、親が子にかける愛ってすげーな。「お前もやれや」なんですが、自分にはここまでの段取りは無理だ。



書ききれません。本当に有り難い1日でした。

チームのみんな、うちの子の友達になってくれてありがとう。保護者の方々もうちの子を大事にしてくれてありがとうございます。よく笑う息子を見れてひたすら嬉しかったです。楽しいと感じることとか爆笑することを経験させてもらえてありがとうございます。なんかお返しします。



あぁ、いい日だった。






3/24、日曜日。



起きた。


泣くほど身体が痛いんすけど。



って体痛いアピールしてたら、「舐めんな」って言われたので散歩いきます。



おこげは昨日は寂しかったからね。



コーヒーを買いに行くのをわかってるのでこうやって待ってくれてます。



小一時間の散歩を終えて。ちょっとFF7。

射撃とかのミニゲームは誉之に任せます。



お昼は誉之の卒業記念第一弾で布施でお寿司。

よく食べてはりました。



夕方は阿倍野まで。

西尾さんのお父さんに会いに行ってました。(会場で自分の後ろの席にはたまたまスージーという)



2014年、我が父が死んだ時に西尾さんが会いにきてくれたんです。もちろん普段着じゃなくてスーツをビシッと着て。


「お父さんに会いにきました」って。


実はそれが結構な思い出でして、「あぁ、こんな自分にもこうやって父に会いにきてくれる人がいてるんだ」って驚いて嬉しくて。西尾さんが来てくれたという意味が当時の自分の中ではすごく大きくて。この件に関する自分の想いがなかなかに深く、そのおかげで父の死をネガティブに感じなかったのかもしれません。




そんなわけで西尾さんのご挨拶。

素晴らしくて拍手しそうになってしまった。そういうことだよね、自分もそう言いたいなって思いながら喪主の挨拶を聞いていました。


西尾さん、また落ち着きましたらお話聞かせてくださいね。