絶えない不祥事 地方議員が“劣化”する2つの要因

福島市議会も例に漏れることなく該当してます。

確実に変革が必要であり、市民の厳しい視線が必要です。



 愛人との痴話喧嘩で得意の突っ張りを繰り出して物言いをつけられた姫路市議など、今年も相変わらず地方議員の不祥事が続いている。4月の統一地方選を経て新メンバーでスタートさせた地方議会の中には、東京の港区議会のように醜いポスト争いを繰り広げたケースや政務活動費の使途をめぐる紛糾を継続させている議会(千葉県市川市議会)さえある。

 地方議員の質の低下にいっこうに歯止めがかからず、むしろ、劣化は拡大・加速している感がある。なぜ、こんな事態になってしまったのかと怒り、嘆く人が全国に広がっている。中には「地方議員は所詮、そんなものだ」と諦観したように言い放つ住民もいるが、そのまま放置しておいてよい話ではないことは明らかだ。(地方自治ジャーナリスト・相川俊英)

すべての議員は有権者が選んでいる


有権者によって選ばれた「選良」の不祥事が相次いでいる(アフロ)
 地方議員の劣化がなぜ拡大・加速しているのか、そして、きちんと役割を果たす地方議員を増やすにはどうしたらよいのか。地方自治の取材を長年重ねてきた者として私見を明らかにしたい。本論に入る前に一点だけ指摘しておきたいことがある。それは、一人ひとりの議員は勝手に議員になったのではないという点だ。皆、有権者に選ばれて議員になったという事実を直視しなければならない。つまり、彼らは皆、いわゆる「選良(選挙によって選び出された人物)」たちなのである。

 地方議員の劣化現象には二つの側面がある。一つは、もともと資質に問題ありという人が議員に選ばれてしまったケースだ。こういうタイプは、議会の外でもトンデモナイことを仕出かしてしまい、新聞の社会面をにぎわすのである。議会・議員の果たすべき役割を理解しないまま選ばれた人たちも、こちらの部類に入る。実はこのタイプが最も多いとみている。特定の組織・団体、地域の利益代弁者としてもっぱら舞台裏で動くことが役割だと曲解しているのである。

 二つ目は、議員になってから変質してしまい、おかしな議員になってしまった事例である。議員としての資質や意識、意欲などをある程度兼ね備えて議員に選ばれながら、いつの間にか初心を忘れ、堕落してしまったというケースである。こちらはさらに二つに大別できる。選良になれたことで有頂天になり、勘違いしてしまって自らを劣化させてしまうタイプである。議員になった途端にふんぞり返るような人たちである。もう一つ、周囲の先輩議員たちに同化してしまう、ないしは意欲を喪失してしまうというケースがある。


「追認機関」になり下がった地方議会

 地方議会の本来の役割は、執行部に対するチェックと政策提案だが、現実はそうはなっていない。地方議会の多くが執行部となれ合い、「追認機関」になり下がっているのが実態だ。何しろ地方議会は閉ざされた特殊な狭い世界で、メディアの監視や住民のチェックなどなきに等しい。手抜きをしようと思えば、いくらでもできる。そんな彼らはもっぱら、次の選挙に勝ち抜くための集票活動や票固めに力を入れるのだ。住民のためではなく、自らと自らの支持者のために議員権限を活用するのである。

 こうしたごく一般的な先生方にとってどうにも目障りになるのが、真面目に本来の議員活動に取り組む議員の存在だ。議会の雰囲気をかき乱す迷惑な存在と捉え、距離をおくだけでなく、彼らの足を引っ張るようになる。つまり、いびり出すのである。理不尽な攻撃にさらされる側にとってはたまったものではない。白旗をあげて、「朱に交われば赤くなる」ケースも生まれてしまう。また、真摯に活動する議員の中には意欲を喪失してしまい、短期間で引退してしまうという残念な事例も少なくない。何しろ本来の議員活動を懸命にやっても、同僚はもちろん執行部からも煙たがれ、嫌われ、その上、頼みの住民からもきちんと評価されないことが多いからだ。住民も議員を自分たち専用の便利屋と誤解している傾向があり、地域全般に目配せして真面目に働く議員を評価しないのである。

 つまり、地方議会は“怠け者の楽園”と化し、「悪貨が良貨を駆逐する」歪んだ世界になっているのである(もちろん、孤軍奮闘しながら本来の役割を果たしている地方議員も各地に存在する。そうした議員の働きを地域住民はもっときちんと評価すべきと考える)。

新人候補の参入を阻むさまざまな“壁”

 こうした現象に拍車をかけているのが、現職有利のもろもろの制度である。例えば、現職が議員活動という名目で毎日、堂々と集票活動を展開できるのに対し、新人候補は公職選挙法の細かな規定により活動の手足を縛られている。その上、正式な選挙運動期間はわずか7日(一般の市や特別区の場合)しかない。知名度も特定の組織・団体の支援もないまっさらな新人候補にとって、当選への壁はあまりにも高い。

 また議会が常に平日昼間に開催されるとあって、会社勤めのまま議員を兼務するのは不可能に近い。任期中の休職を認める企業もなくはないが、勤め人の場合、ほとんどが職を投げ打って出馬しなければならない。抱えるリスクがあまりにも大きく、意欲と力量などを兼ね備えながらも立候補を断念する場合が後を絶たない。現職の後継者以外、新人が名乗りをあげにくい仕組みが出来上がっているのである。こうした現状をごく一部の人たちがにんまりとみているのは、間違いない。固い組織票を持つ限られた人たちしか議会に議席を持ちえない、歪んだ構造ができあがってしまっているのである(大都市部を除く)。

 4月の統一地方選挙でも、無投票や低投票率、それに無風選挙が各地で相次ぎ、自治の空洞化が指摘された。議会への新規参入が極めて困難になっており、議員の新陳代謝が滞っている。住民の選挙への関心も高まらず、候補の質を見分ける意識と意欲、能力もさびついてしまっている。質の悪い議員を退場させるという選挙の本来の機能が停止しているのである。これでは議員間に健全な競争原理が働くはずもなく、議会は切磋琢磨と無縁の世界にはまり込んでいったのである。

 このまま放置していたら、さらなる議員の劣化を招くのは必至である。質の悪い議員を交代させるべく、新人が立候補しやすい制度に変える必要があると考える。公職選挙法の改正や企業の休職制度の拡充、土日夜間議会の導入など、検討すべきものはたくさんあるはずだ。まずは議員を選ぶ選挙を活性化させ、選ばれた議員が本来の役割を果たすために切磋琢磨する状況をつくりだすことだ。“良貨が悪貨を駆逐する”世界に大転換させるのである。役に立たないトンデモナイ議員らに議員報酬を払い続けるのは、税金の無駄使いの最たるものである。