とーちゃんの旅立ち | みりんといっしょ☆

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地域ネコさんから生まれたミケの女の子 みりん(2019年10月23日虹の橋を渡りました。16歳) らんまる(2012年12月24日日虹の橋を渡りました。12歳)どらみ(2022年11月23日虹の橋を渡りました。15歳)

今月、8月3日の17時13分


とーちゃんが母やらんまる、みりんの元へ


旅立ちました




翌日の8/4にショートステイから

帰ってくる予定でした




亡くなるまえ7/28に酸素の値が上がらない…と

老健から、連絡をもらい


受診したときには


「急に病院に連れてこられてビックリした〜。えらないで(しんどくないよ)」


と、笑っていたのに


一週間も経たずに、私の手の届かないところへ行ってしまいました



もっと緩やかに

お別れのときが訪れるものだと

思っていました



ショートステイに、入所したときに

「8/4に迎えにくるでね!」

と言ったら、後ろ姿で手を上げた父



診察が終わって入院になるとき

黙って手を上げた父のすがたが

意思の疎通ができた最後の姿になってしまいました




こんなことなら

もっと優しい言葉をかけたのに…


筋力が落ちているだけだとおもって

「ガンバレガンバレ!」としんどいのに

体を動かすように言ってしまいました



4月に入院したときから

少しずつ胸水が溜まっていたのだと

いうことは、入院になって知りましたが


その頃から

タンがあふれるように出ていて


吸引してもしても出てくるタン


一番しんどいのは父なのに

「また〜?」

「自分でとれるやったらとってよ!」

「わたしもしんどいねん!ずーっとついてられへん!」


と、いどい声掛けばかりしてしまいました

文字で読むよりきつい口調です


そんな私に、父は絶望したのかもしれません



入所の日の定期受診のときに

主治医に


「先生、もうらくになりたいです。」


と、この言葉よりもっと直接的なことばで

先生に言いました



その言葉がほんとになってしまいました




後悔してもしきれません



買い物から帰ったりすると

「おかえり〜!ごくろうさん!」

と、いつも元気に声をかけてくれた父でした



穏やかで、怒られたことが一度もありません


わたしが怒っても笑いに変えてくれる父に

何度救われたかわかりません


家が好きで。生まれ育った

この地域が好きだった父


最期は家で。と思っていたのに

そんな脳天気な私の計画は

お構いなしに

病院から旅立っていきました



母の旅立ちを伝えないままでしたが


今頃、母にあってびっくりしているでしょうか


もう一回、父と話がしたいです

まだまだ父の介護がしたかったです



まだ、父と別れて一週間  

気持ちの整理がつきません



母の生きた証

母のこともかけないままの

父との別れでした




またいつか、できるだけ近い将来


父と母の最期の生きた証を

ここに記したいと思います




ここで、長きに渡り応援してくださった

みなさま

ほんとにほんとにありがとうございました


どれだけ力をもらえたかわかりません



母のときのコメントを頂いておきながら

お返事もできていないことに

今気づきました…。

ほんとにもうしわけありません。




ほんとにありがとうございました



亡くなる約3週間前の父 
こんなに元気でした