ぴよちゃんベアは普段の外出時は連れ歩いていなくて、おもに家の中だけそばにいます。
だいたい、私と夫の部屋にいるか、ぴよちゃんのお仏壇の隣に座らせるか、居間のお座敷の座椅子にいます。
来客がある時は寝室でお留守番するのがお決まりです。


だけどたまたま居間におすわりさせている時に急な来客がありました。
夫の親戚のおじさんとおばさんです。

家に私しかいない時にアポ無しの訪問だったので慌てて対応しました。
咄嗟に招き入れたし、かいくんを抱っこしていたので、ぴよちゃんベアを目につかない場所に連れて行ってあげるのを忘れてしまいました。


私がお茶をいれるために部屋を出ていって戻ってきたら、
「こんなクマの人形に服なんて着せて。
〇〇ちゃん✕✕✕✕になったんじゃないか」(✕✕✕✕の部分はひどい言葉だったので伏せます)
と、おじさんが言っていました。

おばさんは
「何言ってんの?そんなこと言わない!
それで〇〇ちゃんの気持ちがラクになるならいいじゃないの」
と、おじさんをたしなめるように言ってくださっていました。


何も聞こえていなかったフリをして丁寧に対応しましたが、帰られてから、どっと疲れてしまいました。



死生観や宗教観はその時によって都合よくぶれることもありますが、私は基本的には、死んだら何も無くなると思っています。

死後の世界はないし神様も仏様も天使も幽霊もいない。
生まれ変わりもない。

ぴよちゃんの魂があの世でたくさんのお友達と楽しく過ごしてくれていると思うようにしているのも自分の心の平穏のためです。
無理にでもそう思わないとやっていられないことがたくさんありすぎたので。


言ってしまえば、お葬式もお墓もお仏壇も、お供え物も、メモリアルベアも遺骨ペンダントも、すべて生きている人の心を慰めるものだと思っています。
残された人が悲しみを癒したり乗り越えたり分かちあったりするための手段でしかない。
死んだ人には届いていない。
死んだら何もなくなるから。


そうはいっても、やっぱり、ぴよちゃんの代わりのように大事に大事にしてきたメモリアルベアです。
この子のおかげでどれほど気持ちが慰められたかわかりません。

それをろくに事情も知らない人に「こんなクマ」なんて言われたり、
お洋服を着替えさせたり家の中を連れ歩いたりして可愛がっているのを異様なことのように言われたりするのは、
いい気分はしませんでした。


あなたに何がわかるの?
どうせ赤ちゃんを亡くす気持ちなんて何もわからないんでしょう。
わからないなら黙ってて。


って、言えたらスッキリしただろうな。

言えませんけどね…。



それにしても、✕✕✕✕の部分は放送禁止用語だったんですが、そんな言葉を実際に口に出す人がいるなんて驚きです。
古い小説の中でその言葉が使われているのを読んだことはありますが現実で使っている人を見るのは初めてでした。
私が聞いていないから言ってもいいと思ったんでしょうけど(聞こえていましたが…)


なんだか死産してからどんどんデリカシーのないおじさん達が嫌いになります。