墓参りに行ってきました。今日は風が強くて、線香につけた火が手の甲の側へなびいたりして熱かったです。

 

火傷といえば、亡くなった息子は熱さや冷たさ、痛みなども感じにくい子のようでした。

 

小さな赤い足跡を見つけ、驚いて縁側にいた息子の足をひっくり返したら、切り傷がありました。もう25年くらい前の話です。

 

もしかしたらこのこと、前にも書いたかもしれません。

 

 

いやがる息子をおさえつけて止血。そのあと、顔を床と並行にして小さなガラスの破片を見つけました。

 

これを踏んで足の裏を切ったまま歩いていたのだと思うと、不憫という言葉だけでは表せないような気持ちになったのを覚えています。

 

療育書を読むのに必死だった私は、食べさせたりお風呂に入れたりするだけでせいいっぱい。片づけも掃除も疎かになっていました。

 

今ならわかります。どんなことなら、後回してにしても大丈夫か。

 

 

50代になってからの片づけは体力より気力勝負だと、つくづく実感しています。

 

「いつか使うかもしれないから捨てられない。だから、片づかない」というときの「いつか」は、とても不確かなこと。

 

不確かな理由で悩むのはもったいないと思うようになってから、私はモノを手放すことが少しラクになりました。

 

 
お久しぶりになりました。みなさん、お元気ですか。
私は先日、無事に、54才になりました。
ここではじめて「誕生日ですー!」と明るく報告していた頃が、今はとても懐かしいです。