何を書こうか(笑)?
非常に悩む回だから
とりあえず私の中の区別(「志士」と「武士」)を書こうと思います。
簡単に薩長土肥の革命派が「志士」で、
幕府に忠義を尽くした人たちが「武士」。

確かにどちらも「志士」であるには違いないのですが、「志士」とひとくくりにするのもなんだか違う気がするんです。

時代がいくら「志士」を待ったとしても、それに対抗するというか、忠義に徹した人たちに対してテロと同じにしたくないなと思ったからです。
やはりここは区別したい!

書籍や雑誌などでは
革命派に対して「尊王攘夷派」と書いてあり、それ以外の勢力…武士を生きた人には「佐幕派」と書いてあります。

しかし「尊王攘夷」は、日本全体がそうなんです。
みんな尊皇でみんな攘夷。
過激にイギリス公使館に火を放つという攘夷を実行する事だけが攘夷ではないですよ。外国の属国にならないように外国行使と交渉したり会議を開いたりして平和に攘夷する事も攘夷なのです。幕臣は、バカばかりでは決してなかったし真剣に考え対応をしています。
開国をした井伊大老も真の攘夷派。開国したことで属国になる事を避けました。どこで折り合いをつけるかを本当に国のために考えていたのです。
また尊皇については、會津藩主松平容保に見られるようにしっかりと孝明天皇につかえ尽くしたお陰で、武士として初めて天皇からごしんかん(天皇直筆の手紙)と御製(天皇の和歌)を賜っています。
このように尊皇というのは、天皇に真から仕え尊びの気持ちや行動を起こすことです。そこから考えると、京都の街に火を放ち、それに便乗して天皇を長州に連れ去ろうとした長州過激派は尊皇なんて本気で思ってはいないのです。


だから書籍や雑誌を信じては良くないこともありますよ。

そこで私は「志士」と「武士」という区別をする事にしたのです。これには、ここに来てくださる方それぞれに意見があると思いますが、如何でしょうか?

宜しければ、この区別に対して自分はこんな風に思ってるとか、こちらの区別の方がいいのでは?などのご意見下さると嬉しいです。

明日こそ面白くなる……と思います。
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早くテロが世界からなくなりますように。