一番見応えがあったのではないかと思います。
実は、あの密航未遂事件は二回目なんです。一回目は長崎に寄港していたロシア艦に乗り込もうとして失敗してます。
本当に今回は乗り込んじゃって条約があるために追い出されたのですが、ペリーが割と好意的に思ってくれたおかげで陸までボートで送ってくれまして牢屋行きとなりました。
牢屋行きとは言うものの、これは幕府への自首です。死罪で当たり前な行為なんですが、老中阿部正弘のおかげで長州に帰れることになったのです。
松陰のクレージーさというか、真っ直ぐさというか、赤ちゃんがそのままデカくなったというか…この時代にその行為は、とても凄いことで勇気と若さに溢れた行動力など、松陰ファンが多い理由の一つだとも思います。
下田から江戸へ護送されている途中、赤穂義士の墓がある泉岳寺の前で
「かくすれば  かくなるものと  知りながら  やむにやまれぬ大和魂」
と松陰は一句詠んでいます。
悪い事だとわかっちゃいるけど、だまっちゃおれね~大和魂が湧いてくるのさ。
これねぇ、とても分かるんです。よく分かるんです。
だったら足軽に辛うじてなれた元農民の弟子なんて連れて行かずに一人で行けよ!(魂の叫び)
松陰の行動は、あまりに過激すぎて家族や友人知人に迷惑をかけ過ぎてしまう。そして周りが疲れてしまう…。台風と変わらない。
でも何故か人が離れないし、それどころか寄ってくる。それは単純に人柄とか前世で良いことをしたとかあるんでしょうし、長州という国の特性かもしれません。
普通の社会であれば、一人で孤独に生きていくしかない人です!
皆さんイスラムに行ってはいけませんよ。そう言われるとムカつくでしょ?そのレベルなんですよ、松陰のやってる事は。そして周りの忠告も。
で、戻ります。一緒に密航しようとした初代弟子の金子重輔は、前述した通り農民です。農民は足軽になっても農民です。これは新選組局長近藤勇が、幕府の道場である講武所の講師として選ばれそうになった時、元農民と分かった途端に手の平を返すようになかったことにされました。それくらい出は大事なのです。
そのせいで捕まった時、身分の低いものが入る牢屋に入れられ、環境が悪いせいで皮膚病にかかり肺炎まで起こしたのです。萩までは下痢してるのにそのままにされ、トイレにも行かせてもらえず汚物まみれで籠で返されます。
さらに待っていたのは、岩倉獄という、またまた身分の低い人が入る牢屋。松陰が入った野山獄とは天と地の違いがあります。
野山獄は、三畳の個室で囚人同士おしゃべりオッケー。親族からの差し入れオッケー。拷問なし。いつ出られるか分からないから精神的な辛さはあるだろうが死にはしません。
対する岩倉獄。もちろん大部屋。着る物も食べ物もロクに支給されない…その状態に病人金子さん、堪えられるわけがない。
だから入ってすぐ獄中死。

江戸時代って凄く好きな時代です。
でも身分の差ひとつで天国にも地獄にも行けてしまう非常に恐ろしい時代である事は否めません。
幕末期と身分制度。切っても切り離せない一つのキーワード。またどっかでこのキーワードは、やろうと思います。
書き手にとってもかなり考えないといけないので、何時になるのやら…(笑)


(因みに)
松陰のセンセー佐久間象山は、この事件のおかげで連座させられ獄中の人になってます。はたはた迷惑な真っ直ぐな人ですね。