なんて言ったらいいのだろうか?
野山獄は、良い話ですよ~と散々ここに書き続け、私にとって(いや松蔭にとって、さらに言えば松下村塾塾生にとって)大事な部分が切られてしまうとは…これ松蔭泣きますよ。

文を主人公にした国営放送めっ。お前の母ちゃんでーべそ。だ。

簡単に放送内容から大事なところ?を説明しときます。
二十一について。
松蔭という名前って実は号なんです。
号と言うのはニックネームだと思って下さい。だからドラマでは、松蔭と今の所言わずに通称の寅次郎と呼ばれていますよね。
そして松蔭には、もう一つ号があるんですよ。それが二十一回猛士。ドラマ内では夢で二十一が追っかけてくると言う頭おかしくね?みたいな感じで放送してましたが、
高須久子に話した解釈はあっています。
吉田をばらしても杉をばらしても二十一になる。ばらした21(自分のこと)は、猛を奮って生きていくぞ、という決意の現れとしてつけた。
は?ですよね(汗)
因みに本当に夢のお告げだと松蔭は、言っていたそうですが、あやしい。
やっぱり変わった人だな~と思うことが大きなポイントです。このエピソード変だもん!やっぱり歴史を変える人って変わってるんだなというミニ知識でした。
はい、終わり。

なんか味気ないでしょ?

なぜ私が野山獄に、こだわり宣伝したかというと、それは松下村塾という非常に優れた学び場の元を野山獄で作ったからなのです!

野山獄って無期懲役と同じで、出れる見込みはありません。アメリカで懲役50年とかあるのと同じ。希望がなくなり生きる事が辛くなる。
だから、野山獄のメンバーは死んだような顔をしてたでしょ?望みがない。
金子の事もあり、かなり落ち込んだ松蔭は、失意の中でも獄の中でも学び続けることで人間として人間らしく生きる事を選び、それこそが人間としての真の姿であり誠であり、志を捨てないことが大事だと悟るのです。
そして獄中には1年2ヶ月いることになるのですが、その間に読んだ本は600を超えています。
最初は、何を無駄なことをしているのだろうと獄の仲間は思いますが、あまりの一途さに「本当に生きる」というチカラをもらい勉強を松蔭から学ぶようになりました。

松蔭としては、どこでも真剣。どこでも真っ直ぐなので本当の講義を始めます。相手は11歳の時に兵法を披露した殿様毛利敬親でなく、死を待つのみかも?の牢獄仲間。相手が誰であろうが彼には関係ないのです。これが後に身分は問わないという考え方につながっていくのですが、ここではここまでにしておきます。

そのうちに、獄の仲間が私は俳句が読めるとか、私は書が得意とか言い始めて、獄仲間も先生になり、その時は松蔭が生徒になり学ぶ。

全員先生。全員生徒。という勉強会を行うようになったのです!

なんて素晴らしいことでしょうか。
反長州の私がこの話を知った時、心に走るものを感じました。そして光が見えて、ひたすらに龍馬伝を書き続けた力となりました。
この先生ローテーション方式の勉強会が松下村塾という教育施設の教育方針となりました。君はこれをどう思う?さて、君は?
さらに君は?と討論会方式で答えを探す。
話し合いは激論化し朝になってしまったり、つかみあいが始まったり…

あー青春かな。
この時代の方に青春はないのですが、すごく力強く感じませんか?
そして若さがみなぎる感じがしませんか?
そして我々も学びたいと思いませんか?
一緒に幕末頑張りましょう!と言ってみた(笑)
実は、このブログもこうなったらステキかな?なんて思ってるんですけど進行者が私だからか、なかなか難しいです。

こんな満天の星のようにステキな話をやらないって…。

とにかく松蔭は牢獄から出ました。
行動を起こすのみとなりますが、蟄居な身なので外にはでれない。
さて、松蔭はどうする?
答え書いてるんですけど、この辺で文章的には、いいかんじなので
さて松蔭はどうする?で終わっておきます。

ここから私も少しだけ早足になりますが、ついてきてくださいね。

来週も水曜日あたりのUPですが宜しくお願いします。