久坂がメンバーになり、松下村塾の前身が出来始めました。(あの文通は史実だけど文は医者坊主と言ったという資料はありません)
ここから楽しくなるし悲しくなる。群像劇本格的に開始っ!群像劇って「峠の群像」も「新選組!」も賑やかな反面、去りゆく時は本当に悲しいし、寂しいし、辛いし身が引きちぎられる思いになるんですよね。
ただ、今回の「花燃ゆ」がどこまで群像劇の醍醐味を書けるかは、主人公が文のため全く未知数ですけどね。
松下村塾は、松陰から見て叔父にあたる玉木文之進が開いた私塾で松陰が三人目の先生になります。
まだ謹慎部屋3畳半の頃は、罪人がやってるただの私塾でした。

そしてここで前提として一つ。身分が武士格である、いわゆる藩士と呼ばれる人たちの子供は、「藩校」という藩が建てた学校に通い、主に「人を敬う」という学問である中国の朱子学や武術中心とした授業を受けます。朱子学がなぜ藩校で教えられるかと言うと、「人を敬う」というよりも藩士は「藩主を敬い」それ以上に「徳川を敬う」ということと「身分制度」を覚えさせるには好都合な点が多かったからであります。だから徳川は時間が経つほど、幕臣は胡座をかくことになり弱くなってゆく原因ともなるのですが。とにかく「絶対忠義」という最高の教科書が中国の「朱子学」と呼ばれるもだとここでは単純に思ってください。

とにかく武士の子は、藩校(長州では明倫館と言います)に通います。そして吉田稔麿にみられる下級武士以下は、通常寺小屋などで読み書きそろばんを習います。

どんなに向上心に満ち溢れていようが、賢い子だと評判であろうが、剣の腕がたっていようが(吉田稔麿は、なかなかの剣士で非常にクレバーな子です)、今で言うなら偏差値70あろうが身分が低ければ大抵藩校で学べません。
藩校で学ぶということは、真の武士であることの証であり、プライドであり、学ぶという幸せを甘受できる最高の舞台。
逆に身分が低いと頑張って勉強しても明倫館では勉強できないという辛い現実を幼いながらに知らされます。

が、しかし不思議な人もいるわけで、家柄もよく、お金にも困らず、明倫館で学べてるのにも関わらず、松陰の私塾に興味を持つ鬼才があの時代の萩にはいました。
そんな最高の地位を産まれながらにして持っていても「つまらない、つまらなくて死にそうだ」と贅沢な事を思う、尾崎豊の若い頃みたいな奴。
それが高杉晋作。有名なのでネタばらしですが、彼は長州藩史上、誰にも真似できない仕事をし、幕府と一戦交えて徳川に勝ち、上海で攘夷と言いつつ最新のピストルなんて買っちゃったりして、桜のごとく肺結核で29年の命を散らすのですが、その快男児ぶりたるや佐幕な私も認めるしかない日本史史上華やかすぎる漢(オトコ)であります。

来週は「高杉晋作、参上!」ですね。このサブタイトル上手くつけたなぁと思いますよ。まずもって松下村塾の前身が貧相(ビンボーそうに杉家を書いているが、実は中流の家庭クラスの収入はあったそう)、高杉がいくら興味を持ち通いたくても位は高杉の方が上。だから最初は上から目線でしか入って行けないでしよ?だから「高杉晋作、参上!」は絶妙。
史実として高杉が入って暫くは、高杉家が大反対したので夜中にコッソリ抜け出して通っていたそうです。

今度こそ面白いはず。来週の日曜は、絶対みてくださいね!