またまたナレーションで「これが将来の初代内閣総理大臣・・」が流れてましたね。
相当に残念そうなやつに見えるからでしょうね。

また気になったことは最後の「前原一誠です」のシーン。
前原一誠を名乗るのは、まだ先の事で
松下村塾に入ったときは「佐世 八十郎」。

この時代名前を変える事は、武家の世界では珍しくない事。
本名(諱)はほとんど使わずに
通称(号)を使う人が殆どでした。

だから後世に残ってる名前のほとんどは号です。
ただ、姓を変える事は養子に入らない以外は殆どないです。
まれに桂→木戸のように
藩命で名字を変える事もありますが、名字は絶対変えません。

今回は「ふぐ」と「吉田稔麿」の話でしたが
「ふぐ」は江戸時代は禁止令が出ていたのですが
伊藤が偉くなった時、「うまい。こんな美味しいものはを食べられないとは勿体ない。
山口、福岡に限って食を許そう」と言ったことから食べれるようになったそうです。

また松陰がなぜ「ふぐ」を食さなかったのか?ですが、
「志のあるものは、その志を果たさねばいけない人間が
ふぐの味につられて万が一毒にあたって死ぬのは国家の損失になる」
との理由で本当に一生涯食べる事はなかったということです。
それ以前に禁止令が出ていたから・・・なのですが
「君たち、狂いたまえ!」の精神を鑑みるに、
その禁止令が出てる出てないは関係ないと思います。

ところで伊藤利助について少々私の意見を書きたいと思います。

利助って、
この塾生の中でも一番、
塾生同士で影響を受けやすかった人だと思います。
師である松陰よりも塾生に影響された感じが・・・。

その中でも特に利助に影響を与えたのは
利助を引き回し、可愛がっていた高杉晋作。
これが利助のコンプレックスをいい意味で刺激し、
のちの初代総理大臣・・ってもういいですよね(笑)

ドラマでも高杉を意識してみているとわかるのですが
随所にその育ちの良さがでてるんですよ。
まず走るシーン。
「狂いたまえ」と言われてお城へと走る。
みんな普通に走っているのに高杉だけは
手で袴を持ち背中を多少前屈させた走り方をしています。
あの走り方は、お武家さん独特のもの。

そして遊郭に普通に上がる。
(「俊助」になってからの行動から見て
利助が一緒に居て一番楽しい場所でしょうねえ。)
他の皆がソワソワしていても三味線を弾いて普通に遊ぶ。

そこに周布が入ってくる。
すぐに三味線を置きお辞儀をし正しく挨拶をする。
それもスマートにこなせている。

無理して「俺は武士です!」ということをしていない。

それを目の当たりにするわけだから
農民出身の利助としては、カルチャーショックでしょうねえ。

ここに利助の素晴らしい点を見つけられます。
それは、高杉に対して嫉妬をしなかったことで
それを素直にカッコいい!凄い!と思うところ。

これはなかなか思える事ではありません。

私もかなりビンボーなうちで育ってますから
キチンとした立ち振る舞いが出来る人を見るとすごいなあと感心します。
あまりにカッコいいので私もやってみようと何度も本を見て練習するのですが、
いざという機会が出来たとき、頭がパニクって出来ないんです。

感心しつつも
育ちが違うもん、と大人げなく拗ねてみたりして
素直に受け止められない自分がいます。

こう考えると
利助は人を見ながらいいところを吸収し
さらに学をふかめられる
総理大臣になる資質があった人だと思います。

さて来週は文の恋の物語。
ワタシは何を書こうかなあ~。こまったぞ。