佐幕派な私と致しましては非常に厳しい三週間。
今週も何を書くかで悩んでいるうちに今日になってしまいました。
再び申し訳ございませんでした。

久坂が京都に行き、他の村塾メンバーも京都に行き始めます。
全国の志士と呼ばれる人たちも同じように京へ上って行く。
こうして京の町には「尊攘派」と呼ばれる人たちが溢れ
中には過激な尊攘派も相当数いて京の治安が悪くなっていったので
治安維持のため会津が京都守護職になり・・・と時代がどんどん混沌としていくのですが
そうなるには、「安政の大獄」という大きな事件を通らねばなりません。

ところで今回のテーマの一つになった「コロリ」(現代では「コレラ」)について
医者でもない私がしゃしゃり出てお話します。

現代日本は衛生的なので発症原因となる「コレラ菌」自体が存在しません。
日本人での患者数は1年に100人ほどみえますが、
その殆どがコレラ流行地から帰国後に発症した人たち。
すなわち海外で拾ってきた場合に限られます。

もしコレラの流行地に行くことになっても、
生水と生食品を喫食しないことを守れば「コレラ」にはかかりません。
また仮にかかったとしても
ナトリウムとカリウムを主とした補水液を点滴すれば
ほとんどが2、3日で完解する病気。

しかし時は江戸時代で緒方洪庵が大阪で適塾を開き蘭学が流行り始めたころ。
まだ薬は漢方、経絡に針を打つなどの中医学が主流の時代。
(今は不思議な事に、この中医学がプチ流行してますけど・・・)
人々は黒船来航、天災の続発、経済不安、治安の悪化で
不安で不安で仕方ない時にワザワザやってきた疫病神の「コロリ」。

初めて「コロリ」が日本にやってきたのは1822年。
異国船打払令がでたあたりです。
西国を中心に流行りました。
二回目が今回のドラマで描かれた1858年(文政5年)の「コロリ」。
これは、東シナ海沿岸地方を経由し長崎に入ったアメリカ海軍軍艦ミシシッピ号の水兵が発症したものが拡がったもの。
またまた西国中心に感染し、
今回の場合、一説には北海道まで拡大したとか、しないとか。
このため江戸市民3万人以上の命が犠牲になりました。

症状は「激しい嘔吐」と「下痢」で
何が一番怖いって朝かかったと思ったら即日または2~3日でころりと死ぬ!
(ここから「コロリ」と呼ばれるようになりました。)

いくら蘭学が花咲き始めても
「コレラ菌」というものが病原であることが分からないので根本的な対処法がない。

それに対して幕府は、全国に予防法・治療法の冊子をくばって
多額の対策費をだしています。
また奉行所も肴問屋、魚市場以外での魚荷物の売買を禁止したりしてなんとかおさめるのです。

が、これまた結果的に米相場が急騰して世情がさらに不安定に・・・・><

そして、こんな不安定な時代を憂う「志士」たちの刺激にもなり
過激な行動を伴った攘夷へと走らせ
それに激怒した井伊大老は、
前述した「安政の大獄」をはじめるのです。


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