まず第16話の感想を。
今回の「最後の食卓」は、
今までの中で一番良かったと思います。

松陰が犯した罪を鑑みるに獄から出ることなど考えられませんが
奇跡的に家に帰れたのは、獄吏・福川犀之助の一命を掛けた心使い。

前回の野山獄入獄の際も、自由に文との面会を許すなど
一身を顧みず、松陰に配慮した事は
福川にとっても松陰は‘師‘であったということでしょうか?

実際、福川は罪人である松陰を保護したという罪で
‘遠慮‘というかる~い謹慎処分が下されています。
(※遠慮・・・昼間は門を閉じて外出禁止だけど夜は目立たないように出てっていいよぉ♪という処分)
また、その罪から考えられることとして
長州藩自体が幕府への建前として
「松陰の関係者にいたるまで処分しました。」というアピールだったとも考えられます。
このことから、長州藩も松陰を本気で処分するキモチは殆どなかったのでは?と思います。

前書きにしては長くなりましたね。失礼しました。

ところで今回は「井伊大老から見た安政の大獄」でしたね。

前回述べた「日米修好通商条約」の締結。
井伊大老は、やみくもに独断で調印したわけでなく
帝に調印の許可を促す書状をだし
幕臣たちにも「返事がくるまで調印をしないように」
と厳しく注意をしているくらい
帝から調印の許しを請う返事を待ちました。

アメリカ側は、この条約の調印の締結をせまるために来航しているため
強引に折衝の場を何度も持ちますが、
散々引き延ばされアメリカ側のイライラもピークに達していきます。
それでも帝のみこころを尊重するため待ちますが、
待っても待っても「調印を許可する」との勅令がでないため

「その時歴史は動いた!!」←これをあと一回は使います(笑)

ギリギリの選択で日本をアメリカから守るため、
調印を‘やむなく‘断行したのです。

しかし国内の一橋派や水戸藩、思想活動家には、
井伊大老が「不平等条約」を「朝廷の御意思に背いて調印」した‘悪大老‘として批難されることとなり
結果、国内の治安も乱れ
これでは「国がまとまらない上、徳川の権威までもが保てない
と思った井伊大老は再び

「その時歴史は動いた!」

一大弾圧「安政の大獄」を決行しました。
単純に「いう事聞かないから消そう」という安易な気持ちではなく、
あくまで徳川政権の安定と国論の統一のために行った‘処置‘です。

元々は、埋木舎で厄介者として一生終わる人生だった井伊直弼。
それが何かの偶然で黒船来航以降の国中が重たい空気に包まれる中、大老に抜擢された。
その偶然を井伊直弼は、
御公儀の人柱になる覚悟で思いきった行動に移した。
井伊直弼は直弼なりの「至誠をつくした」結果が「安政の大獄」であったと私は思うのです。

「100人以上の犠牲者を出した事や、
捕まった人間に対する拷問のむごさ」をよく指摘されるのですが、
幕閣としては
「取り締まったら100人以上出てきた。
だから逮捕した。
ところが相手は、テロを含むたくらみを簡単に自白しないからキツク取り調べをした。
それが何か?」
といったところではないでしょうか?

このブログを読んで
「松陰先生は至誠をつくし暗殺計画まで話そうとしたではないか」
というご意見が多数出る事も覚悟しております。

これはあくまで井伊直弼の立場に立って考えた
‘ひとつの意見‘としてご承知おきください。

では次回は、まったく逆の立場(松陰はじめ安政の大獄の犠牲者)の‘大義‘と言う観点で書きます。
初めて佐幕派の私が一橋派および思想活動家たちの立場に立つので
なにとぞ、お手柔らかにお願いいたします。