実は先週の日曜日から昨日まで北海道に行っていました。

目的は、ただ一つ。
ずっと一度は見てみたいと思っていた「五稜郭」および「開陽丸」を見るためです。

よって、まだ先週の「花燃ゆ」最初の部分を見れなかったため
これから見て明日にUPします。

お詫び及びお土産として皆様に
非常に美しい「五稜郭」をお見せしたいと思います。



幕末期に作られた星形のお城。
幕府の命令により武田斐三郎という人物によって造られました。
長野にも五稜郭(今は小学校がある)がありますが、
一般的に五稜郭と言えば箱館の五稜郭を指します。

お城としての機能を果たしたのは、
皮肉にも幕府によって造られたのに
旧幕臣たちが箱館戦争を起こさせられて籠城した時でした。

戊辰戦争にて敗戦した旧幕臣たちが蝦夷地に上陸し
五稜郭を拠点に世界に通じる国際法の下
「蝦夷共和国」と言う独立国家を作ろうとしました。

ところが朝廷並びに新政府から「蝦夷共和国」を認めてもらえませんでした。
ということは必然的に朝廷に対し「賊軍」となるということを示します。
賊となった以上は戦わざるを得なくなって
旧幕臣たちは五稜郭に籠城したのです。

結局、旧幕臣たちは新政府が持つ兵器の差と
数々の不運によって白旗をあげざるを得なくなりました。

これだけ書くと旧幕臣たちの暴挙のように思われるかもしれません。

しかし、旧幕臣たちのした戦いは
近代稀に見る温情のある戦いでもあり
旧幕臣たちの生きる場所は旧幕臣たちで作ろうとした結果であって
決して否定することはできません。

その温情とは大きく5点あります。

①選挙で総裁を決めたこと。
②国際法にのっとった政治をしようとしたこと。
③蝦夷地上陸の際、新政府の息がかかった松前藩と戦をします。
その時の捕虜を全員解放して新政府軍が陣をはる青森に輸送した。
②フランスで学んだ赤十字の精神を活かし
敵味方関係なく戦で傷ついた戦士たちを病院に収容し診察及び看護を受けさせた。
③開城前に蝦夷共和国総裁榎本武揚しか持っていない「海律全書(世界で通用する海の上での法律を書いた本)」を敵である新政府軍に渡した。
(自分たちは処分されるが、この本があれば日本国の役に立つため焼き捨てられることだけは避けたかったので新政府に渡したのだ。)

この精神を知った私は、歴史の教科書に
この事実を僅か一行程度に収められてしまった事に対して違和感を感じ
多くの方に「蝦夷共和国」の存在やこの戦いの意義や精神を知ってもらいたいと思い
自分なりに勉強し蝦夷に行けるチャンスが出来たので行って
こうやってブログに書くことにしました。

このブログは「花燃ゆ」をきっかけに
幕末を知ってもらおうという意図でやっているため
もっと深い事をかくことは出来ません。

たまにちょこちょこ入れるという手段もありますが
それをすると混乱を招くため、ここで筆をおきます。

最期に皆様の頭の片隅にでも
この気高い「五稜郭」での出来事を忘れないでほしいと願います。