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♡ my son´s diary ♡

2011年生まれの長男と
2013年生まれの次男の育児日記です

ハンドルとられて何か気持ち悪い地震だったな

 

という気持ちを感じつつも

 

あまり深く考えないで実家に向けて車を走らせていた

 

ちょうど若山小学校を過ぎたあたりで

 

再び車のハンドルがとられた

 

え? なんかおかしい

 

と思ったのと同時に車の制御が効かなくなった

 

あ!地震か!と思った瞬間

 

緊急地震速報がなり私は車を止めた

 

その直後言葉にできない揺れが襲ってきた

 

しかも一度止まりそうかと思ったら

 

また強い揺れ

 

周りの家の様子を見ながら

 

頭の中でいろんなことを考えた

 

 

 

あー私死ぬかもしれない

 

あそこの電柱倒れてきそう

 

道陥没するんじゃない?

 

子どもたち守れないかも

 

どうしよう ごめんなさい

 

 

 

そんな言葉が頭の中をぐるぐるしてた

 

長男は これ震度7じゃね? って繰り返して

 

二男は 助けて―怖いよー って叫ぶ中

 

砂埃をあげて崩れていく家

 

家の中から飛び出してきた老人

 

切れる電線

 

割れる道路

 

ようやく長い長い揺れが治まった

 

私達が乗ってる車に被害はなかった

 

私は 助かった! と思ったと同時に

 

頭の中に 津波 という言葉が浮かんだ

 

長男が近くの家の男性老人が心配で車を降りようとした

 

気がついたら私は言ってました

 

「車から降りんといて!お母さんが見てくるから」

 

その男性老人は家の中の奥さんのことが心配だったようで

 

私は崩れそうな家の中から手を引き外に連れ出しました

 

多分1,2分の出来事だったと思う

 

そして慌てて車に戻り 子どもたちに言った

 

「多分津波来るから高いところに逃げるよ!」

 

と言って車をUターンさせ

 

大谷峠の方に向けて走らせました

 

その間たくさんの家が崩れ

 

道路は割れ、今はよく思い出せないけれど

 

とにかく最初の揺れを感じた

 

大谷峠の降り口のところまで戻り

 

ここなら多分津波は来ない

 

そう信じて車を止めてテレビをつけてみた

 

でも電波が届かなくて

 

今度はラジオをつけてみたら

 

大津波警報のアナウンスが流れてた

 

電話は運よく通じていて

 

旦那に電話してみたけど通じない

 

その間に実家・姉・義父・義姉から着信

 

私達の無事は伝えられたけど

 

旦那がどうなのかがわからない

 

私は後悔した

 

体調悪くても連れ出せばよかった

 

こんな時に家族バラバラなんて…

 

子どもを助けることはできたとしても

 

これじゃ意味がない 私は自分を恨んだ

 

令和6年1月1日 

 

元旦9時

 

年末家族で奈良・京都の旅行したときに

 

晴明神社に行きました

 

そのとき買ったで方除け札

 

せっかくだから南向きだしと

 

玄関に貼りました

 

晴明様1年間我が家を守ってください

 

って気持ち まさかこの数時間後

 

大変なことが起こるなんて

 

想像もしてなかった

 

元旦10時

 

お雑煮を作って家族みんなで

 

おせちを囲んで新年最初の食事をしました

 

子どもたちにお年玉を渡し

 

届いた年賀状に目を通しました

 

元旦11時

 

なんだか旦那の体調が悪い

 

風邪っぽいみたい

 

薬を渡して寝るように言いました

 

いつもならお昼近くには

 

須々神社に初詣へ行って

 

そのあと実家にお年賀に行くはずなんだけど

 

旦那の体調悪いから、なかなか行く気にならない

 

元旦12時

 

子どもたちが外でキャッチボールをし始めた

 

何か食べるか聞いたら お餅食べたいというから

 

お昼ご飯の代わりに豆餅を焼いた

 

そういえば洗濯ものまだ回してなかったなぁ

 

と思って洗濯スタート

 

元旦13時

 

子どもたちは変わらずキャッチボール

 

私と夫は部屋でウトウト

 

いつもの元旦とは違ってダラダラ…

 

多分年末旅行した疲れが残ってたんだと思う

 

元旦14時・15時

 

「いつくるんやー?」

 

実家から催促の電話がくる

 

んーーーー仕方ないな 旦那体調悪いし

 

子ども連れて3人で実家いこうか

 

初詣は旦那の体調回復してからにして

 

とりあえず実家に向かうことにする

 

15時45分

 

家を出る直前に何となく時計を見たから

 

ハッキリこの時間を覚えてる

 

家の洗濯乾燥機の中にタオル系のものを入れ

 

乾燥スタートその他の洗濯物は

 

実家近くのコインランドリーで乾かすため

 

洗濯物を車に積んで旦那を残して家を出た

 

海岸沿いの国道249号線を実家の珠洲市に向けて走る

 

あの時はまさか15分後くらいにはこの道のほとんどが

 

土砂崩れを起こして、たくさんの人が

 

生き埋めになるなんて想像もできなかった

 

16時ちょうど

 

いつもなら大谷のスーパーで子どもたちは

 

ジュース飲みたい!と言ってこのスーパーの自販機に寄って

 

ジュース買うんだけどこの日は珍しく子どもたちは

 

ジュース欲しいって言わなくてそのまま大谷峠に突入

 

今思えばこの自販機に寄ってたら今頃亡くなった人のリストに

 

名前が載ってたかもしれないそんな危険な大谷峠超えスタート

 

大谷峠の入り口のぐるぐる道路

 

 

ここをを走ってる最中LINEの呼び出し音

 

携帯を見たら友達から新年のあいさつのライン

 

時間をハッキリ覚えてる

 

多分その3分後くらいに 大谷峠のトンネル通過

 

 

 

16時6分

 

大谷峠下りのカーブを走っているときだった

 

今まで経験したことのない感覚がハンドルから伝わる

 

なんだろー風かな? すごくハンドルとられるんだけどー

 

と思った瞬間 緊急地震速報がなった

 

あ!地震! 

 

あと少しで大谷峠降りるという位置で慌てて車を止め 

 

揺れが治まるのを待って旦那に電話

 

電話が通じた 家何ともない

 

なんか気持ち悪いからしばらく外にいるかもという旦那

 

私は旦那の無事を確認できたら安心して

 

そのまま国道249号線を実家に向けて走らせた

 

 

今日で震災から50日が経ちました

 

50日経過したけれど何も変わっていません

 

いや 家の方は電気も水もきたから

 

ライフラインは復旧したと言えるのかな?

 

でも住めない スーパーがあっても

 

生鮮食品を売ってないから

 

食べていくことができない

 

自宅に戻れそうで戻れません

 

50日過ぎて 何となくそろそろ

 

あの日の話をしようかと思います

 

あと今回の震災で実際に身をもって

 

必要なものや必要なこと

 

SNSではインフルエンサーの人が

 

いろんな震災ライフハック載せてるけど

 

正直 まぁ

 

知ってたら便利かもしれないけれど

 

ホントの被災地ではもっと別の事を

 

知っていた方がいいかも

 

ということがあったのでそれもブログにします

 

とりあえず次回からは1月1日について記録します