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♡ my son´s diary ♡

2011年生まれの長男と
2013年生まれの次男の育児日記です

長男を産んで1ヵ月後くらいに

 

東北の震災がありました

 

その時のことは今でもハッキリ思い出せます

 

あの時メディアでたくさんの報道があったからこそ

 

地震直後から津波避難と即行動できたんだと思います

 

明らかに今までの地震とは違う揺れだったので

 

絶対大きな津波が来る!と確信できました

 

地震後来た道を戻り大谷峠に向かってみたけど

 

今回の地震地面の隆起があったせいか

 

ほとんどの橋が道路との付け根から段差ができて

 

橋からその先には進めない状態でした

 

大谷峠も珠洲側はトンネルの手前が橋になっていたので

 

継ぎ目が隆起してその先には行けませんでした

 

(行けたとしてもトンネル内が崩落してて危険だったと思う)

 

坂道の途中で車を止めていたら

 

同じように津波から避難してきた車が数台きました

 

車で避難なんて渋滞して危険なのでは?

 

と言われそうですが 都会と違って田舎なので

 

皆さんが想像するような渋滞はほぼ起こりません

 

しいていうなら道路がひび割れたり崩れたりして

 

通れなくなって車が渋滞する可能性の方が高いです

 

ですので、都会の方はどうか車で避難しないでください

 

もし乗り物を使って避難するなら自転車かバイクがいいです

 

自転車やバイクなら渋滞を避けられるので良いと思います

 

とりあえず 少しでも高い位置と思い

 

山に逃げてラジオをつけ津波の情報を聞いていました

 

このあたりになると時間の感覚はなく

 

ただ外が暗くなっていったのが記憶にあります

 

そんなときふと子どもたちが

 

のど乾いた何か飲みたい トイレに行きたい

 

と言いました

 

トイレは車に乗せてあった防災グッズの

 

携帯トイレを使いましたが

 

のどの渇きはすごく悩みました

 

来る途中いつもなら寄るはずの自販機も寄らず

 

ましてや車内に備蓄してたわけでもない

 

かといってまだ大津波警報が出ているので

 

下手に自販機探しに移動するのも怖い

 

どうしようかと思っていたら

 

ふと 実家に持っていくはずだった

 

化粧箱に入ったお年賀の

 

紅まどんなが目に入りました

 

6個入って4000円くらいだったかな

 

実家の長男夫婦の分と次男夫婦の分2箱

 

悠長にお年賀渡せる状況ではないので

 

子どもたちの命を第一優先に考えて

 

お年賀ののしと包装をを破り

 

子どもたちに渡しました

 

とりあえずこれなら糖分と水分が両方摂れる

 

現状考えると今夜は家にも戻れないだろうし

 

実家にも行けないから

 

とりあえず今夜はコレでしのぐしかない

 

と思いました

 

地震から何時間が過ぎたか

 

同じ場所に避難していた人が

 

私の車のところまできて

 

「津波引いたみたいで、おそらく大きい地震来ない限り大丈夫でしょう

 

それより次地震着たときこの道や山が崩れるかもしれないから

 

ここを離れましょう 自分は明日仕事があるので

 

何とか金沢に向かいます お互い頑張りましょう」

 

と言ってその人は車を走らせました

 

私達も大谷峠から移動しましたが

 

道の状態やマンホールが凸っていたので

 

下手に移動もできず

 

その日は、若山町の道の駅で車中泊することにしました

 

子どもたちは疲れ切って無言

 

車はセレナだったので後部座席を上げ

 

子どもたちには車内の床に横になるよう言いました

 

でも、床が痛くて寝れない と長男が言うので

 

どうしようか悩み

 

車の中のいろいろな所を開けてみると

 

野球の道具を積む時用に用意してたブルーシートを発見

 

私は本来なら乾燥させるはずだった洗濯物を床に敷き詰め

 

その上にブルーシートを敷いて

 

子どもたちに横になるように言いました

 

すごく寝やすくなったよ と長男

 

そのあと、防災グッズのカバンの中にあった

 

アルミシートを掛け布団代わりに使うように言いました

 

これもかなり暖かったようで

 

子どもたちはその状態で夜を過ごしました

 

私はその間いつでも運転できるように

 

運転席に座ったまま

 

旦那と連絡がつかないことがとにかく不安でした

 

そんなとき義姉さんから着信があり

 

旦那と連絡ついたという知らせでした

 

何で!?と思ったら

 

家の固定電話が生きていたようで

 

そっちで連絡が付いたと…

 

まさか家の固定電話が生きてたなんて!と思い

 

義姉さんとの電話を切ると即家に電話

 

旦那と話すことができました

 

旦那の声を聞くと張りつめてた緊張が

 

ほぐれていくのを感じました

 

子どもたちは無事だったことと

 

明日何としてでも家に戻るからと伝え

 

私は眠らないまま一晩車内で過ごしました

 

 

 

2011年の東北の震災後

 

万が一に備えて防災グッズや

 

水・最低限の食糧を家に用意してましたが

 

被災者側になってみて

 

本当に必要な物・たいして必要ではない物

 

というものが見えました

 

今後起こるであろう南海トラフの備えとして

 

参考になればと思い記録したいと思います

 

第1回目は車中泊編

 

震災当日の夜 私と子どもたちは車中泊でした

 

その様子については後ほど記録しますが

 

その車中泊内で役に立ったもの

 

あると絶対助かる!というものを

 

伝えたいと思います

 

 

 

 

まず備えの代名詞といえば防災バッグ

 

 

 

 

能登は車社会だということもあって

 

私はあらかじめ車1台につき1個

 

防災バッグを載せていました

 

これは間違いではなかったと思います

 

我が家のように車に乗っているときに

 

被災することもあるので

 

絶対車にも乗せておくといいです

 

でも中身の多くは出番はほぼなかったけれどね…

 

そんな中で2個ほど使えたものがありました

 

1個は アルミシート 

 

 

 

 

バッグにはもともと1個しか入ってなかったんだけど

 

家族の人数分追加して用意しました

 

ダイソーで買ったんだけど

 

 

 

防寒グッズとして大活躍しました

 

結構暖かかったです

 

2つ目が簡易トイレ

 

もともと防災バッグの中に入っていたのは

 

2回分だけでした

 

地震直後津波のため

 

避難所ではない場所にしているとき

 

近くにトイレがなくてこのグッズを利用しました

 

でもその後もかなり必要になったので

 

バッグの中に1.2回分とかを入れておくくらいなら

 

 

 

箱買いして思い切って10回分とか入ったものを

 

防災バッグと一緒に用意しておくといいと思います

 

被災後、改めて10回分くらいの携帯トイレを買って

 

今も車に乗せています 

 

震災直後は能登から金沢へ移動するとき

 

片道8時間とかかかったので

 

そのときも利用できました

 

あとはやっぱり水

 

車に水を常時載せておくのは

 

衛生上なかなか悩ましいけれど

 

最近は車内用の保存水もあるので

 

載せておくといいと思います

 

 

 

 

地震直後は町中の電気が止まり水道も断裂するから

 

水道は出ない・自販機も動いてないって状態で

 

水分補給できなかったんですよね

 

我が家は次のブログで話しますが運よく?

 

水分補給ができたので

 

何とか一晩乗り越えられましたが

 

車内に常備してあれば安心だと思います

 

これらのグッズがひとつになった

 

 

 

 

 

こういったセットもあるから用意しておくといいかもしれません

 

あと私が普段持ち歩くカバンに入ってたので役に立ったのが

 

ボールペンと手帳 スマホだと充電が切れる可能性もあるから

 

何かを書きたい・記録したいときはやっぱり紙

 

アナログが便利です

 

その他に欲を言ったらキリがないけれど

 

携行缶&ガソリンも必要です

 

 

 

我が家はガソリン車だったんだけど

 

当然のことだけれど車はガソリンがないと走れません

 

震災直後のガソリンスタンドは

 

震災の復旧車両への給油が最優先となり

 

一般車両には売り渋ります

 

実際に家の近くのスタンドは休みでしたし

 

営業していても車1台につき5リットルとか

 

売ってくれませんでした

 

なので携行缶&ガソリンもあると助かります

 

我が家は一晩だけ車中泊だったので

 

この程度しか浮かばないけれど

 

もっと車中泊が長くなれば

 

必要なものは変わってくると思います

 

でも今後の備えとして

 

皆さんの役に立てることを願うばかりです

 

 

 

 

 

ハンドルとられて何か気持ち悪い地震だったな

 

という気持ちを感じつつも

 

あまり深く考えないで実家に向けて車を走らせていた

 

ちょうど若山小学校を過ぎたあたりで

 

再び車のハンドルがとられた

 

え? なんかおかしい

 

と思ったのと同時に車の制御が効かなくなった

 

あ!地震か!と思った瞬間

 

緊急地震速報がなり私は車を止めた

 

その直後言葉にできない揺れが襲ってきた

 

しかも一度止まりそうかと思ったら

 

また強い揺れ

 

周りの家の様子を見ながら

 

頭の中でいろんなことを考えた

 

 

 

あー私死ぬかもしれない

 

あそこの電柱倒れてきそう

 

道陥没するんじゃない?

 

子どもたち守れないかも

 

どうしよう ごめんなさい

 

 

 

そんな言葉が頭の中をぐるぐるしてた

 

長男は これ震度7じゃね? って繰り返して

 

二男は 助けて―怖いよー って叫ぶ中

 

砂埃をあげて崩れていく家

 

家の中から飛び出してきた老人

 

切れる電線

 

割れる道路

 

ようやく長い長い揺れが治まった

 

私達が乗ってる車に被害はなかった

 

私は 助かった! と思ったと同時に

 

頭の中に 津波 という言葉が浮かんだ

 

長男が近くの家の男性老人が心配で車を降りようとした

 

気がついたら私は言ってました

 

「車から降りんといて!お母さんが見てくるから」

 

その男性老人は家の中の奥さんのことが心配だったようで

 

私は崩れそうな家の中から手を引き外に連れ出しました

 

多分1,2分の出来事だったと思う

 

そして慌てて車に戻り 子どもたちに言った

 

「多分津波来るから高いところに逃げるよ!」

 

と言って車をUターンさせ

 

大谷峠の方に向けて走らせました

 

その間たくさんの家が崩れ

 

道路は割れ、今はよく思い出せないけれど

 

とにかく最初の揺れを感じた

 

大谷峠の降り口のところまで戻り

 

ここなら多分津波は来ない

 

そう信じて車を止めてテレビをつけてみた

 

でも電波が届かなくて

 

今度はラジオをつけてみたら

 

大津波警報のアナウンスが流れてた

 

電話は運よく通じていて

 

旦那に電話してみたけど通じない

 

その間に実家・姉・義父・義姉から着信

 

私達の無事は伝えられたけど

 

旦那がどうなのかがわからない

 

私は後悔した

 

体調悪くても連れ出せばよかった

 

こんな時に家族バラバラなんて…

 

子どもを助けることはできたとしても

 

これじゃ意味がない 私は自分を恨んだ