ご無沙汰してます。
ようこそ、まみちゃの部屋へ
またまた、時間が空いたけれど、1月からはまめにかくぞ!と意気込んでいたのですが
やはり、もう2月・・・
にげるぞ・・・2月
大丈夫か?わたし。
まずは、最近の近況から。
一大事は・・・やはりこれ。
2018年12月29日に私の父が亡くなりました。
30日が通夜、31日が葬儀という年末めっちゃ忙しいときでしたが、みんなが年末年始の休みに入っていて・・・ちょうどいいというか。みんなは最後のお別れに来てくれました。
でも、官公庁は28日に御用納め。いろんな手続きは遅れました。
父は、もともと病気で入退院を繰り返していて、もう、手立てがなく、
9月の末よりホスピスに入っていました。
本人は末期とは思っておらず、入院もはじめはいやいやでしたが・・・高齢の母の負担を考えると、選択肢はひとつしかなく・・・。
自宅で看取るのが一番本人のためだったかもしれません。でも、家族の負担は大きすぎました。
できるだけ、面会に行き、ご飯を食べさせ、好きだった音楽を流したり
わたしの音楽活動にもよく来てくれてて、そのグループの中のサックスの音色が大好きで。
だから、特別にお誕生日にはサックスの先生に病棟でミニコンサートをしてもらったり。
これには病院のみなさんのご協力もあり、場所まで作ってくださって・・・
本当にありがたかった・・・。
父が手拍子をしたり、にこにこして(若干認知症もあり、記憶が飛んでたり、怒りっぽかったり)
でも、その時はいつもの父で。
ひ孫も駆け付けた誕生日にはケーキをみんなで食べてました。
切る前から手を出して指で食べ始めてしまってみんなで大笑い。
それも、もう、理性が働いていませんでした。
そう、父のついつもの姿ではなくなる時間が子どもとしてはつらかった。
笑い飛ばすように努力してた。
もともと冗談が好きな人だったから、
本当のボケ、冗談なのか・・・だから笑い飛ばしていました。
先日四十九日の法要も済ませました。
まだ、父の声が聞こえます。
「お。まみか~ちょっとまっとけよ」
あ~こんかいはこれだけでいっぱいいっぱい。
これでもまだ書ききれないほど
父との思い出はあります。
そして、考えることもたくさんありました。
わたしも変らなければ。
子どもたちに何かを残せる親になりたい。
そう思ったのです。
今日はここまで。
また、続きを書きます。