氷艶2019その3 高橋大輔とステファン・ランビエールの歌くらべ | 高橋大輔選手と共に momokikuのブログ

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まだまだ氷艶ロスが続いております。今日は大ちゃんの「君と僕の ふたりだけーぇの秘密を 君は忘れはしない」という歌のフレーズが一日中耳ワームしておりました。

 

あ、耳ワームって知ってます?

 

earworm: 歌または音楽の一部分が心の中で強迫的に反復される、俗にいう「音楽が頭にこびりついて離れない」現象

Wikipediaより

 

 

98%の人間が経験しているのですが、特に女性、一説によると音楽により多く接している人がこの現象になりやすいとあります。

私はそのどれもに当てはまりますが不快ではなくとても楽しんでます。

 

超ご機嫌になると「星条旗よ永遠なれ」をつい口ずさんでしまうのも耳ワームの仕業ですわ。あ、でも今は君と僕の♪です(*^-^*)

 

そのくらいならいいのですが、常に胸が苦しいってのはやばいですね。全然別のことをしていても氷艶が蘇ってそれこそこびりついて離れません。キャストの皆さん、中でも浪岡一喜さんは重症のご様子。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

なんかわからないですが、 川を眺めてボーッとしてます。 なんかわからないですが、 足元がフワフワしてます。 なんかわからないですが、 寂しい気持ちになっています。 やり切った安堵感があるはずなのに。 いっぱい写真を撮ったはずなのに。 もう足の心配をしなくていいはずなのに。 めちゃくちゃたくさん言いたいことがあって、めちゃくちゃたくさん見せたい写真があるけど、今日はやめとこうかな。 リンクの上で、涙を流す瞬間なんて、 もう一生ないんやろうなぁ。 #氷艶ロス

波岡一喜さん(@kazuki_namioka)がシェアした投稿 -

 

 

うんうんうん

 

なんかそういう感じです。

 

浪岡さんは今回弘徽殿の女御の側近、長道を演じられたのですが、初日と2日目でいくつか台詞のニュアンスを変えた部分がありました。

 

たとえば朧月夜に帝の御前で舞うように促す場面も、初日は「何をしておるっ!!」と叱りつけるような感じだったのが2日目は「何をしておる?」という疑問形に変わってました。どちらも命じてるのには変わりませんが、2日目の方がより長道の陰険な性格が出ていたように感じられました。

 

悪役って言わば額縁みたいなもので描かれる物語の中心ではないけれど全体を引き締める重要な役割ですよね?

 

悪役が魅力的じゃなかったらお話にならないわけです。

 

私は演劇の事はよくわからないのでそれがいいのか悪いのかは知りませんが、演じている最中も浪岡さんはより「長道」に近づく努力をされていたように見えました。

 

果たして楽公演で皆様がご覧になったのはどんな長道だったのでしょう?それを見届けられなかったのは残念です。

 

 

 

 

さて、多くの方は即、別の事に向かわなければならないわけでいつまでもこの空間にしがみついてはいられないのでしょうが、それってやっぱり寂しいことですよね。

苦しいくらいにその思い出に浸っていられるというのは幸せです。

 

でも毎度そうですけど一日経つごとに記憶は薄らいでいきます。それが嫌だからこうしてせっせと記憶の書き写しをしているわけです。

決して安くないチケット代はとことん元をとらせてもらわなくちゃね。

 

っても大っぴらなネタバレですし、テレビ放映まで楽しみに取っておきたいという方はこのブログを読まれるのはお勧めしません。

また正しい情報をとお考えの方は期待しないでくださいませ。

 

娘によく「ママは話を盛ってるから!」って言われます('◇')ゞ

 

まあ、盛りっぷりがいいとも言われてるので別に抗議されてるわけじゃないけれど、間違った先入観を与えてまで人様の楽しみの邪魔はしたくないのです。

 

あくまでもこれは私のための記憶保管庫だとお断りしておきます。

 

まあでもアイスショーというのは期間限定、スケーターの演技は観客にとっても一期一会です。映画のようにネタバレが命取りにはなりません。そしてストーリー性があってもその解釈は自由だと思います。同じ舞台を見てそれぞれが解釈を語り合うのも楽しみ方の一つじゃないかな?

 

なのでもう一度申しますが、これから書くのはあくまでも私見でして参考にはなりません。実際のところはご自身の目で放映版をご覧いただきたいです。あとひと月の辛抱ですよーー!

 

BS日テレ「氷艶hyoen2019-月光かりの如く」放映予定

http://www.bs4.jp/hyoen/

 

9月1日昼12時~

 

 

 

なぜ、いつにもましてこんなお断りをするかと言えば嬉しいことにこのブログを宝塚ファンに紹介してくださった方がいらっしゃいまして、放映されるならぜひご覧になりたいとおっしゃってくださったからなんです。

 

まあいつもは読んでくださるのは大ちゃんファンオンリーだと想定して書いてるので、まさかほかのジャンルのファンの方が?と驚きましたけど、でももう高橋大輔はフィギュアスケート枠を飛び越えてエンタメのオールジャンルのファン、ほかの競技アスリートファンの方々にも注目されてるわけで、めったなことは書けませんからね。

 

そういうことも加味しながら大ちゃんの事を紹介していきたいなと考えています。氷艶や高橋大輔で検索されて出てくるブログはやはり皆さんチェックされると思うので。

 

まあでもあんまり窮屈には思ってないですよ。人の悪口書いてるわけじゃなし、ほかのジャンルの方や新しい方も「月光かりの如く」で大ちゃんに関心を持ってくださったなら大歓迎です。こんな大規模な公演を成功したことでファンの世界も広がったんですよね。注目はありがたいことです。

 

まあでも相変わらずの大ちゃん呼びだけはお許しくださいー

あと高橋は正確にははしご高で、髙橋大輔です。ただアメーバの公式ハッシュタグは高橋大輔ですし、お使いの環境によっては髙橋が表示されず文字化けする場合がありますので、便宜上、高橋と書くことがあります。そのあたりは語る内容によって使い分けています。

 

長い前置きはこの辺で。。。では続きです。

 

一幕 第4場 宮廷の間

 

御殿では桐壷帝が藤壺を新しい妻に迎えた祝いの宴が開かれていました。

広間には雅楽が鳴り響き、祝賀の舞が奉じられています。

 

(台は4段構造で、最上段に桐壷帝と藤壺 次の段には3人の官女。下に貴族たちが座るお雛様みたいな舞台装置でした。ひな壇を黒子ならぬ白子が人力で押しながらみやびやかに登場します。)

 

「皆の者、ここにおるのが我が新しき妻 藤壺じゃ。」

 

一同が会する中で紹介された藤壺がその顔を上げたとたん、光源氏に衝撃が走ります。動揺し思わず顔を背ける源氏に桐壷帝が笑いながら声をかけます。

 

「どうした?源氏、驚いたであろう。お前の亡き母桐壷に瓜二つだからな」

 

「わしも忘れられなかったと見える、お前と同じでな・・・」

 

それは母のいない源氏の寂しさを紛らわそうとした帝の計らいだったのかは知る由もなく、ただただ母の面影を宿した藤壺に強い感情を覚えて戸惑う光源氏。

 

それをよそに長道が声を張り上げます。

 

「このめでたき日に舞を差し上げたく存じます。ここにおるのは弘徽殿様が将来朱雀帝の御妃にと定めた朧月夜でございます。」

 

朧月夜は私のようなものがこのような晴れがましい場で踊ることは到底かないませんと恥じらい、固辞しますが弘徽殿はそれを許しません。

彼女は人形のようにおとなしく意のままに操れる妻として選ばれたにすぎないのですから。

 

「何をしておる!早く舞うのじゃ!」

 

長光に促され朧月夜は舞い始めます。それは名の通り、叢雲にかき消されそうなほどおずおずとした舞でしたが、その奥ゆかしい優しさが帝のお気に召されたのか「なんとも儚げな美しい舞じゃの」とお褒めの言葉を賜ります。

 

次の余興にと長光が提案したのは光源氏と朱雀帝の歌くらべでした。

 

「古来人の上に立ち、都を治める者は教養に優れる証として和歌をたしなむのが必須。ここで二人の皇子に歌比べをしていただき、どちらが将来の帝の歌にふさわしいか藤壺様にお決めいただこうではありませんか?」

 

それも一興と帝も同意します。

 

「歌は心の気高さを表す。どうだ息子たち。藤壺に和歌を送り、その心を響かせてやってはくれまいか?」

 

許しを得て長道がまた場を仕切ります。

 

「さあ何をしておる!」

 

命じられて一同が場を空けると、二人の皇子に向かって声を掛けます。

 

「さあどうぞお始めください。」

 

まずは朱雀君が一首詠みます。

 

九重を霞へだつる住処にも春と告げくる鶯の声

「宮中から遠く離れた仙洞御所にも 春が来たと鴬の声が聞こえてきます」

 

次は光源氏

もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うち振りし心知りきや

「どのように御覧になりましたでしょうか。何とも言えないつらい気持ちのままで。

つらい気持ちのまま立派に舞うことなどはとてもできそうもないわが身が袖を振って舞った気持ちはお分りいただけたでしょうか」

 

現代語訳の出典はこちらです。

http://www.genji-monogatari.net/

 

このシーンのプロジェクションは氷面のトレースに沿って文字が現れるんですよ。ステファンと大ちゃんそれぞれが滑るとその軌跡がそのまま変体仮名に変換されていくんです。二人のスケーティングはよく伸びるし、ステップの際にホップしたりということがないのでまるで本当にスケート靴で書いているように見えます。

 

プロジェクションマッピングと歌はスタンドで見たときが一番堪能できました。やっぱ俯瞰じゃないと大きな空間を最大限使った映像は見えませんしね。そういう意味でも複数回、いろんな席から見られたのは大変良かったです。

 

朱雀帝の歌詠みは男声、源氏は女声パートです。最初はそれぞれ交互に一句ずつ滑り、その後輪唱のように二人の歌が重なっていきます。最初はなんの句か聞き取れませんでしたが、スタンドで観覧した際に歌と文字が一致していることに気が付き、所々読めたのです。上記二つはそれをヒントにあとで調べてわかりました。でも後の3首は歌も文字も重なってしまってまったくわかりませんでした。

 

 

 

しかしツイッターで氷艶のパンフレット表紙の変体仮名が答えであることを発見した方がいらっしゃって、後半に滑った源氏の和歌2首が判明。いずれも藤壺への想いを詠んだ句でした。一方の朱雀院の2首めも探し当ててくださった方がいましたので興味のある方は検索してみてください。それにしても大ちゃんファンにはほんと教養の高い人が揃ってますね。いつも感心させられます。

 

大ちゃんとステファンが書いた文字がリンクで交差していく様はいかにも日本を感じさせてくれたし、源氏物語らしいとても美しくて風雅な演出でした。

 

 

 

さてここでどうしてこの2首が選ばれたのか考察してみます。

 

まず源氏の歌(もの思ふに。。。)は紅葉賀からの一句で、青海波を舞ったその翌日に藤壺に贈ったものです。源氏18歳でした。

 

意味は口語訳の通り、「頑張って滑ったんですが、すごく緊張しちゃってー。ねえ、みてくれました?手とか震えてたけどあなたを想って袖を振っていたんですよ。どうでした?」

 

ほんとストレート!母性愛に訴えること一直線な歌なんですよね。

 

これってまんま大ちゃんじゃんwwまったくもお。わかりますよねーあの目でプルプルしながらこんなこと言われた日にはイチコロですよ。

ちなみにほかの2首も藤壺に贈ったものでした。つまりめっちゃ藤壺にアピールしてるんです。

 

一方の朱雀君の歌(九重の)は源氏宛てのもの。朱雀帝の隠居間際に宴を開いてもてなしてくれた源氏に対して感謝する歌なんで藤壺あてではありません。

 

だからここで詠むのは時系列的にも変なんですけどね。まあ実際の源氏物語はさておいて。

 

句中の「鶯」とは春の観桜会を意味しています。「私はもう宮中から離れたところに隠居する身なんだけどこんな盛大に春の宴を開いてくれてありがとう。」と言ってるわけです。でもそれじゃあこのシーンで演じるにはあまり関係ないし、唐突すぎますね。

 

ですがこの「鶯」とは昔、宮廷が華やかだったころに朱雀帝の求めに応じて光源氏が「春鶯囀しゅんおうてん」の雅楽をひとしきり舞ったことにもかけているわけです。

 

源氏の秋の青海波が大変見事だったので、春鶯囀をリクエストしたらそれも大変素晴らしい舞でしたので、朱雀院の心に残っていたのです。


それを思い出して当時の栄華を懐かしむ源氏に応えた歌。


ですから「春と告げ来る鶯の声」とはこうして隠居する身に鶯(光源氏)が声を届けてくれたと喜んでるとも解釈できます。変わらぬ友情に対する感謝なのですね。

 

そのエピソードを時系列無視でこの物語に落とし込めば、この歌くらべの時点では朱雀君には源氏を裏切る気持ちがなく、幼いころからの友情をそのまま信じていたということになります。母弘徽殿の女御の源氏に対する憎しみも知らずにね。

 

だとすれば朱雀帝がどうして最後にあのような行動をとったのかの理由にもなるんですが・・・・

 

 

月光かりの如くが全く源氏物語とはかけ離れているというご指摘はその通りなんですけど、人の想いの行き違いを描いてるという点では共通するんですね。

 

 

桐壷帝の二人の息子への愛

 

桐壷の更衣の源氏への愛

 

源氏から藤壺へのそして藤壺から源氏への愛

 

弘徽殿の朱雀君への愛

 

長道の弘徽殿への愛

 

松浦の源氏への愛

 

咲風の松浦への愛

 

朱雀君の紫への愛

 

朧月夜の朱雀君への愛

 

そして源氏と朱雀帝の友情

 

いずれも深い想いでありながら、一つも報われることなく、掛け違ってしまったそれぞれの愛が悲劇を招いていく

 

孤独を抱えているのは光源氏だけではなく、登場人物たちがみな孤独な魂をもって生きているということなんでしょう。

 

それは現代の私たちも同じですけどね。人生は恐ろしい災害や事件によって何時消えてもおかしくない浮草のようなもの。その儚さの中で私たちはどれだけ愛を伝え、受け止めることが出来ているんでしょうか?

 

時に伝わらず空しくとも、命かけて抱いた想いは絶えることなく人から人へと継承されていく。

 

 

「氷艶hyoen2019-月光かりの如く」では源氏物語の根底を流れる「常なき世」無常観を描きたかったんだろうなあ、と今になってわかってきた気がします。

 

 

つづく

 

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