第2幕の幕開け 氷艶2019その11 | 高橋大輔選手と共に momokikuのブログ

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今日も暑かったですねえ。

長野も夜7時の時点で駅前の電光掲示板がまだ31度を表示していてシャレにならない暑さでしたが、その後降ってきた雨のおかげで急激に気温は下がり今はとても過ごしやすいです。

 

ですが明日も猛暑日の予報。皆様くれぐれも気を付けてくださいね。

 

私の指の怪我は完全なドジでして同情の余地ないんですけど、今朝は薬局で化膿止めと指先用の絆創膏を買ってきましたから日にちさえ経てばこのまま傷口は塞がると思います。ほんとに余計な出費でした。

 

まあ誰だって怪我したくてするわけじゃないですしね。やっちまったもんはしゃーないし、大怪我でなくて幸いでした。

 

人って誰でもそうかもしれないけど、なんか今ここで?っていうときに怪我するとかえってアドレナリンが働くというか、頑張らな!!っていう気持ちがふつふつとわいてくるようにできてるんですよ。だから大概の事は何とかなる。逆に熱中症みたいに気が付かないうちにじわじわとというほうがやばいですね。薄皮をはぎ取られるように徐々に体が衰弱していくときはなんとも抵抗できないんです。

 

だからこそこの暑さには無駄な抵抗せず、一時撤退もするべきですよー!回復したらいくらでもチャンスはあるんですからと今日甲子園で20対1で負けた長野県立飯山高校の皆さんに申し上げます。イヤー暑さがすべて悪いってんじゃないけどね、長野県のお子さんたちがこのままあの甲子園で戦い続けるのはさすがにやばいんじゃあないかと老婆心が働いてしまいました。

 

もちろんその暑さを耐え抜いて勝ち抜こうという高校球児たちには頭が下がりますし、どうかくれぐれも事故のないように周囲の大人はサポートしてほしいと願います。

 

 

さて、雨音は続いてますが今私の後ろの窓からはちょうど月が見えます。夜だけどお天気雨なんですね。不思議な感じです。

 

 

昨夜は30年に一度の立秋の上弦の月でした。スマホの写真だとぼけてますし、今日はそれから一日経ってちょいとポテっとしておりますが、隣の木星もちゃんと輝いて見えます。

 

上弦の月とはこれから満月に向かって満ちていく月のことだから何かの始まりの例えみたいに使われますよね。

決断するのにふさわしい夜なんだそうですよ。何かを得るために何かを捨てなければならない。

平安の昔の方々がそうお考えだったのかはわかりませんが、今よりもずっと月と親しい関係であったのに違いないのですから多くの呼び名がこのころに考案されたことでしょう。

 

上弦の月はその半月の形から弓張り月と呼ばれました。

 

源氏物語の中に登場する弓張り月は光源氏が須磨に蟄居する要因になった朧月夜が源氏への返歌で自分を比喩するのに使用しました。
 

「あづさ弓いるさの山に惑うかな  ほの見し月の影や見ゆると」

 

宴を狩りに例えて、その中に心惹かれて誘った女性(朧月夜)が今夜現れないかと気にして探してたんですよと、という源氏の歌に対して

「心いる方ならませば弓張の  月なき空に迷はましやは」

 

本当に心にかけてくださってるのならば、例え弓張り月(自分の事)がいない空でも迷ったりはしないわ。ちゃんと探し当ててくださるはずよ

 

と返歌したんですね。

弓に引っ掛けて自分のことを弓張月と例えるあたりが憎いですねえ。

あーもうこのこのこの! リア充爆発しろ!!(古)ってな感じですけど、はい、この関係のせいで本来なら東宮(朱雀君)のところに嫁ぐことが決まっていた朧月夜とのスキャンダルが表ざたになり、それこそ爆発して須磨に行く羽目になっちゃったわけです。

 

 

おおー間もなく弓張り月が西の空に沈もうとしております。夕暮れと同じで月も沈む時には赤くなります。

 

月光かりの如くにおける朧月夜は朱雀君に一途な想いをささげるけなげな姫として描かれているにすぎませんが、源氏物語における彼女は春の宴では光源氏様がこのようなファッションだったんですよという噂を聞きながらきゃーー!!っと萌えてるような、いわば大ちゃんファンみたいなものでして、その宴の後源氏が自分を探しに来てくれたと知ったとたんに泣き出しちゃうくらい光君にベタぼれなんですよねー。

 

いやー源氏物語って読めば読むほど1000年の時の隔てを感じないわ。

 

紫式部が見上げた月も、今私がこうして見上げている月もきっと同じ。

 

中でも共感するのは春の宴での源氏のファッションの描写

 

桜の唐の綺の御直衣、葡萄染の下襲、裾いと長く引きて。皆人は表の衣なるに、あざれたる大君姿のなまめきたるにて、いつかれ入りたまへる御さま、げにいと異なり。花の匂ひもけおされて、なかなかことざましになむ。

 

桜重ねの唐織り(舶来もの)のお直衣に葡萄染の下重ね、でも正装のように裾をとても長く引いていらっしゃるの。

ほかの参会者はみんな堅苦しい正装のところに、ひとり洒落た着くずし方をされている優美なご様子で、皆に丁重に迎えられてお入りになるお姿は本当に別格だわ。花の美しさも圧倒されて、かえって花が見劣りするくらいですわよ。

 

あー、古来イケメンはこうでなくっちゃ!っていうくらい正統派ですね。昔から少しみんなとは違う着こなし方をする人がおしゃれってみなされていたのねえ。

 

 

お顔にときめき、ファッションにときめき、その上歌もお上手で琴などの楽器も素晴らしいとくればそりゃあもう姫君は片っ端から狂いますわよね。

 

これから登場する海賊の長松浦は原作にはいない登場人物で、彼女がなぜ源氏のために命を賭けてしまったのか?疑問は残ったんです。



顔なのか?源氏がイケメンだったせいなのか?


と、ちとそのあたりの描写が劇中にもっとあればよかったと思いましたけど、原作を読んでいればなるほどそのあたりの理屈はいらねえってなりますねww

 

問答無用、女性を狂わす男、オムファタルがイコール源氏なんですね。

 

氷艶前よりもむしろ公演後から源氏物語を拾い読みしている私ですが、原作の源氏の愛されっぷりにいまさらながら驚いちゃいます。

 

 

登場する姫君だけではなくて周りの家臣がみんな源氏を気遣い、何か事があればお慰めしようとあれこれと話しかけたり優しくしたり。でもちゃんとそれが気に入らなくて嫉妬したり陥れようとするアンチな人も現れる。

 

源氏物語が時を超えた人気を保ち、今もこうして戯曲化されるのは人間みな根本が変わらないからでしょうね。普遍的な要素をたぶんに含んでいるからこそ現代に通じるんです。それこそ今はほとんどの庶民が食うに困らぬ当時の貴族みたいなものですもんね。ありがたいことです。

 

恋に身をやつし、恋に焦がれている間は幸せってことです。

 

 

が、やはり恋していれば幸せとばかりは限りません、月光かりの如くの世界の源氏にも大きな試練が立ちはだかります。

 

第二幕 浜辺の近くの村

 

とある漁村の浜辺ではにぎやかな祭りが開かれていました。太鼓がなければ桶や柄杓も楽器となります。村人はそれぞれ道具を持ち寄りそれを勢いよく叩きながら、年に一度の祭りを盛大に楽しんでいました。

 

飲め!歌え!踊れ!今日は年に一度の祭りだ!!

 

船長が叩く太鼓の音に先導されて、村人一同が声も高らかに自由を歌い上げます。女も男もいずれも百戦錬磨のふてぶてしい顔つき、そう!ここは海賊たちの根城なのです。

 

その中心でひときわ目立つのが海賊の長、松浦です。日焼けした顔が炎に照らされて赤く輝き、とてもそうは見えないけれど実は松浦は女性。父親に女であることを隠して育てられられ、今は海賊の長として皆を束ねているのです。

松浦の統率力は他の村々にも及び、今は朝廷よりも頼りになる自分たちの味方として人々の尊敬を集める存在となっていました。

 

そんな海賊たちの祭りの最中、杖を支えにしてようやっと歩いてきた源氏が力尽きて倒れこみます。

 

海賊たちは一瞬驚きますが、その様子が貴族であることに気が付きます。

 

「おい見ろよ。この着物。貴族様だぜ。」

 

「贅沢な暮らししやがって!!ぺっ!!」

 

「お!この刀!おれんのだ!」

 

「見てこの笛!あはは!高く売れる!」

 

「ちょっと見せろよ!」

「嫌だよー!」

「なんだ独り占めする気か?}

「これは最初に俺が見つけたんだ!俺のもんだ!」

 

 

争う皆を制して松風が鶴の一声を発します。

 

「我々は貧しいものが~奪われたものを取り返す。それが仕事だ!追剥じゃない!!」

 

「連れていけ、手当てする」

 

こうして光源氏は松浦によって救われたのです。

 

つづく

 

 改めまして、氷艶hyoen 2019 -月光かりの如く- ご来場頂いた皆様、キャスト、スタッフ、スポンサー、関係各所の皆様、本当にありがとうございました!!!撮影:田中聖太郎


氷艶公式さんも氷艶ロス


こんなにみなさんいいお顔ですもん

!そりゃ寂しくなりますね‼️




 

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