信州の旅その2 海野宿編 | 高橋大輔選手と共に momokikuのブログ

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毎年悩まされる花粉症ですが、私の場合は桜が散るころになってようやく落ち着いてくるのがなんとも皮肉。

本当だったら極寒からの解放感溢れる季節だと言うのに、目のかゆみに出鼻をくじかれ家に閉じこもりがち。

 

しかし2020年2月に始まった新型コロナウィルスとの戦いで、そうでなくても一年中外出を控えざるを得ない状況が続いてます。

ま、いい加減この状態にも慣れてきてしまってるんですけどね。

 

昨日Twitterで「どこか行きたい!海外に脱出したい!」というエッセンシャルワーカーの悲痛な叫びを目にしました。延々と続く閉塞感に心が悲鳴を上げていらっしゃる様子。私の心も痛みました。

 

海外旅行どころかほんの少しの外出でさえどこにも行けない状態の方が数多くいらっしゃるのは承知しております。たぶんその方が本当に望んでるのも今ある現状からできるだけ離れた遠くの世界に行きたいという意味なんでしょう。

 

今日たまたまNHKで放映されたドイツのメルケル首相のドキュメンタリーを見ていた主人が興奮しながら、私にベルリンの壁崩壊の顛末を語ってくれました。崩壊のきっかけになったのは東ドイツ国民の閉塞感が限界に達し、国内外移動の自由を求めるデモが高まったからなんです。

 

国の政策で国民の移動が制限されたのはかつての日本も同じ。鎖国もそうですが、古くから農耕従事者の移動を恐れたときの政府によって庶民は土地を離れることを厳しく制限されてました。唯一許されたのは神社仏閣への参拝で、善光寺にも江戸時代から全国から多くの参拝者が訪れていました。善光寺の宿坊には大阪からの女性ばかり60~80人規模の団体での宿帳が残されてるそうです。

 

私も大ちゃんのおかげで大阪にはだいぶ通いましたけど、どんなに早いルートでも5時間はかかりますし、高速バスだと8時間以上です。私だって髙橋大輔が見たいという一念で出かけたのですが、古の方々の仏、極楽浄土に対する想いは想像つかないほど大きな意味があったんだろうなと推察します。まさに命懸け、一生一度の旅だったことでしょう。

 

でもまあそこまで大げさな決意でなくても、要は心の問題です。今いる世界から自由に飛び立つだけなら現実に旅行せずとも十分です。なにせ私は高橋大輔ファンですからね♥

大ちゃんが世界中あらゆる場所に誘ってくれたし、想像の翼を羽ばたかせてくれてます。妄想族\(~o~)/なのです。

 

でもたまには夢想するだけじゃなくて現実に見知らぬ世界を体験し心に潤いを与えるのは大事ですよね。自分が置かれた状況や、時間とお金に制約があるからといって旅を諦めては勿体ないって思います。多少の下調べと土地勘があれば、ごく身近な場所へ、それこそ数時間の間だって十分に旅した気分になれるはずですよ。何も海外に行くだけが旅行じゃない。ってその方に伝えたくなりました。いろいろ制限があるからこそ地元の良さに気が付くというものです。

 

幸い今はネットがありますし、私はいつもそうしたプチトリップを楽しんでます。初めて入るお店やカフェ、名前は知っていたけど訪れたことは無い場所がごく近場にもまだまだ沢山あるのです。よくこの辺りは何にもない田舎だからなんていう愚痴を耳にしますが、それは単に関心がないだけの話で、足をほんの少し伸ばせばきっとハッとさせられるような風景がうじゃうじゃあるんですよ。

 

というわけで4月に入ってからはアクティブに長野市近郊を巡り歩いているのですが、いやほんと百聞は一見に如かずですねえ。

 

まず長野県東御市の海野宿に出かけたのですが、今までなぜ行かなかったのか?と後悔するくらい素敵な場所でしたよ。

 

長い自粛期間を経て、そろそろどこかに出かけたいねと友達と日どりを相談したのは2月でしたが、まだどこもかしこも雪の中。迷ううちに予定日間近になってここに行ってみない?と誘ってくれたのが「海野宿」でした。4月10日まで沿道沿いにお雛様を展示されてるそうです。

今年は須坂市の雛巡りも行きそびれてたので、お雛様と聞いて私も二つ返事でOKでした。かねてから名前だけは知っていたんですが、超有名な観光地というわけでもないのでこういうきっかけでもなければわざわざ出かけることも無かったでしょう。

 

ですがいつ目のかゆみが襲ってくるのかわかりませんし、ドライブは止めて長野‐軽井沢間を走るローカル線”しなの鉄道”を利用することにしました。

上田駅の先の大屋駅で降りて徒歩20分ですからちょうどいいお散歩コースです。

 

 

明治時代に開通したそうですが、当時から姿がそう変わらないのでは?と思われるトタン屋根の素朴な駅舎。シンボルツリーになってそうな桜はまだ蕾が開いたばかりでしたが、大きさからしてかなりの古木と見えます。

無人駅なので切符を改札に設置された小さな箱に入れて、外に出ます。

 

初めての場所では道に迷う恐れがあるので海野宿行きのバスはないかと時刻表を眺めてみましたが、それらしき地名も見当たらず、やはり諦めて歩くことにしました。

 

実際、海野宿まで直線道だったので迷う心配はまったくなかったんですけどね。普通駅前にはコンビニのひとつもありそうなものですが、これといった商店は見当たりません。というか、いきなりこのレトロな風景です。

 

 

 

歩道が車道と同じくらい広い。関東からの旅人が善光寺を目指し、佐渡島で採掘された金を江戸に運んだ北国街道です。

 

 

人がすまなくなってだいぶ経つと思われる家も並んでいますが、手は入れているらしく、極端に劣化してる様子はありません。アルミサッシではないガラス戸は今は貴重です。

 

 

前に手水場と雪洞が置かれたなにやらいわくありげな古い土蔵。扉の前にしめ縄が貼られてるのが気にかかります。中には何が納められているのだろう?

 

大屋駅からたどり着くまでだって十分それらしき古い建物が並んでいるのですけど、ここからが海野宿とわかる看板がありました。

 

 

 

海野宿は全長650メートルにわたって続く宿場町です。街道沿いには今も往時の面影のまま、かつて旅籠屋だった建物が100件余り並んでいます。

 

 

 

海野宿の人々が生活用水として利用していた用水路、今も暗渠されることなく道の傍らをそのまま流れています。

 

 

宿に入ったとたん最初の家からさっそくお雛様たちが出迎えてくれました。左右に並ぶ建物の格子の奥から、お雛様が無言で見つめてくるのです。

 

 

 

人があまりいないのでまるでタイムスリップしたみたい。普通こういう場所だと観光客でにぎわってるものですけど、この日はシーンとしてたまに車が通りすぎるくらいでした。

 

 

ひときわ印象的なこの黒い建物は英会話スクールとして利用されています。すごいギャップ。

 

 

上を見上げると2階にもお雛様。

 

こちらのおうちのお雛様はかなり古そう。明治時代くらいかな?

 

 

かつてはこの格子から明かりがもれて旅人の心を誘ったんでしょうねえ。

 

こちらが本陣だった旅籠。立派な門構えです。

 

 

 

 

 

こうしてみると到底人が住んでいる気配がなさそうなのですが、旅籠時代の看板の横にちゃんと表札が出ていますし、夜になると各家庭ごとにお雛様がライトアップされるそうですから、間違いなく今もお住まいになってるんでしょう。

 

 

長旅で疲れるのは馬も一緒。塩を舐めさせてミネラル分を補給したんでしょうね。

 

 

海野宿の中ほどにカフェがあったので我々も一休み。

 

 

ガラス工芸作家さんのお店だったので、中と外では大違いでした。

 

 

うわあ、心惹かれるものがいっぱい!!素敵!!

 

 

中でも一番気に入ったのはこのオブジェ。欲しい――。でもどこに飾るんだ?

 

 

カフェスペースは2階でした。かつては蔵だったんでしょうね。梁には矢島六左衛門建立とあります。

 

 

ここになら一日中いられるわ。

 

 

2階の窓から見下ろす海野宿の道。向かいの格子の中にお雛様がならんでいるの分かりますか?

 

 

 

こんな場所で頂くコーヒーはとてもまろやか。ケーキも美味しかったです。近くだったら毎日通いたい。

 

 

どこまでも整然と続く家並み。てっきり観光のために古い屋敷を移築整備したのだと思ったら、資料館で観た明治時代の写真とほぼ同じでした。

かやぶき屋根が瓦やトタン屋根に変わったくらいで、道幅は一緒です。

長野県内には馬籠や妻籠など江戸時代から続く宿場町がいくつもありますが、生活道路でもあるのに今なおここまで美しく残されている場所を他には知りません。海野宿の人々の誇りを感じます。

 

 

家の軒にせり出しているのが”うだつ”です。防火用だそうですが、その家のステイタスの象徴でもあり、「うだつが上がらない」のうだつはここから来てるそうですね。

2018年、大ちゃんが出場した西日本選手権を観戦するために名古屋のガイシアリーナに遠征し、その際名古屋の近くの有松という宿場町を観光したんですが、そこで初めて”うだつ”を観ました。海野宿は明治時代になってからは製糸産業で栄えたのでうだつが上がったわけで、有松のそれよりもかなり年代が若いと思われます。

 

 

生活感もなく人の気配がほとんどしない街道をお雛様に見守られつつ歩くのはちょっと怖い気もしてきました。夜一人で歩いたらさぞかし((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルでしょうねえ。

 

度胸試しに来年はぜひ夜に訪れたいと思います。

この路地なんか夜になったらどんな風に見えるんでしょうかね?

 

 

 

海野宿の端に建つのが白鳥神社です。ここは木曽義仲が挙兵した場所でNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を意識してかそれを示す旗があちこちに掲げられていました。

 

 

この案内板の文中に義仲が長野の横田河原で平家の大軍を撃破とあったのでその場で調べてみたら、川中島にあった横田城周辺を指すようです。

 

川中島といえば武田軍と上杉軍がたびたび戦闘を繰り返したことで有名ですが、平家と源氏も同じ場所で壮絶な戦いをしたんですね。京都や鎌倉とは遠く離れたこんな場所でなぜ?という疑問があらためて湧いてきます。

 

「鎌倉殿の13人」にも登場する海野幸氏(うんのゆきうじ)もこの地の出身。そもそも海野庄の歴史は奈良の天平時代まで遡れるそうで、その場所がいまもこうして往時の面影のまま残っているのは奇跡みたいなものでしょうね。

 

真田十勇士で唯一実在したとされる海野六郎。そのモデルの海野六朗兵衛もまた信濃の名族滋野一族の宗家である海野家の出身と言われています。

刀剣乱舞やBRAVE10のメインキャラの一人なので歴女にはお馴染みかもしれません。

 

出雲の阿国の歌舞伎踊りが好きで見物に行った海野六朗が阿国と一緒に飛び入りで踊っているのを見た真田幸村が感激し、自分の影武者に据えたという、氷艶ファンも思わずニヤリとしてしまうエピソードの持ち主です。もちろんフィクションですけど。

 

 

 

時が止まったような静かな宿場町。軽井沢に旅行するようなことがあったらぜひ海野宿まで足を延ばすことをお勧めします。

単なる旅行では味わえないタイムスリップしたような特別な時間を味わえますよ。

 

いますぐにでも再訪したいくらい私も大好きになりました。

 

午前中いっぱいたっぷりと堪能した後、今度は上田城に向かいました。別に歴史巡りする気は無かったんですけどそこでも面白いことがありましたのでまた今度。

 

つづく。

 

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