大きな期待と希望、そして少しの不安を抱きながら成田空港を飛び立った2年前のあの日が、


夢のように過ぎたモスクワでの一年間に感謝の気持ちを込め、シェレメチェボ空港を飛び立った1年前のあの日が、


まるで昨日の出来事のようですが、、


ついに。


ついに一昨日、1年間実務研修を行ったロシアのある地方都市に別れを告げ、日本に帰ってきてしまいました。



いろいろ振り返りたいこと、思い出や感傷にひたりたいこと、自分を褒めてあげたいこと、逆に今後の大いなる反省材料とする点等、色々有りますが、それら全部をひっくるめて、本当にかけがえのない二年間でした。


今後しばらくはまた東京を拠点に仕事をします。東京でも、充実した前向きな、階段を上っていくようなそんな生活・人生になるように、ロシアで得たものを糧に頑張ります。



さて、本題ですが、例のごとく、それはもう毎年恒例の行事のごとく、ロシア滞在中にも携帯を紛失しております。(2010年12月31日大晦日、フィンランドの空港にて。)


帰国に伴い再発行、携帯復活しましたが、メモリーがゼロなので、全然連絡が出来ません。

一年ぶりの更新なので、かなり不安ですが、もしこのブログを読まれた僕の友人・知人・愛人等々は、是非僕の携帯まで電話かメール、若しくはSNSか何かしらの方法で、ご連絡頂けると大変有りがたいです。


よろしくお願いします。

↓↓ロシア、バラにまつわるお話。

ロシア恋愛事情 / リーダ編


~~以下、若干気持ち悪い男性が登場しますので、為念、深呼吸をしてからお読みください~~



モスクワ出発3日前。アカデミー前の、幅100mはあろうモスクワ川に掛る橋の路肩。

日の入りが24時を過ぎる夏のモスクワ。ほぼ直滑降に落ちる午後8時の太陽の光がモスクワ川の川面をきらきらと彩る頃。


リーダと僕は橋の脇に腰かけ、モスクワ川を眺めていた。



急速に変貌を遂げるモスクワにおいて、最も如実にその変化を感じ取ることが出来るのは、モスクワの所謂エリート層の若者だ。彼らは非常に高い自己実現とキャリア形成の意識を持ち、勤勉に勉学に励むと共に、学生時代から仕事に従事し、ビジネスパーソンとしての業務経験を積む。コネが何よりもモノを言っていた一昔前のロシアとは違う。


僕の周りの多くの友人がそうであり、リーダもそんな学生の一人だ。



私は家で大人しく夫の帰りを待つような、そんな女じゃないわ。私には夢があるの。私はこの街で成功して、スーパーウーマンになるの!!私は仕事のことを考えだしたら他になんにも見えなくなる。次の日にテストがあることだって忘れちゃうの。


もうすでになんども聞いた話。


はいはい。そうだね。
でも正直なところ、君はなんというか、その、普通じゃないというか、逸材的なところがあることは疑いの余地がない。君ぐらいの才能があれば、ビジネスの世界でも絶対成功すると思うよ!




でも、こんな考え、女としては間違ってるわよね。女の幸せは大好きな男性と結婚し、幸せな家庭を築くことだもの。。



でも君はまだ若いから、色んな事を経験して、色んな事を感じて、少しずつ大人の階段を登っていけばいいんだよ。考え方は色々と変わっていくものだから。




それよりリーダ、君にこの21本のバラをあげるよ。俺の感謝と愛の気持ちさ。


とにかく、君との会話はいつも楽しかったし、君といた時間は最高でかけがえのないものだった。
常にウィットにとんだ小話や論理を展開する君に、どうやって議論で勝つかをいつも考えながら過ごしてたぐらいだからね。君がいなかったら、俺のモスクワ生活は随分と違ったものになっていたかもしれない。


でも、俺はもう少しでモスクワを去らなきゃいけないんだ。



そうね。。次はいつ帰ってこれるかわからないんだよね?



二、三年後に帰ってこれるかもしれないし、10年後になるかも知れないし、一生帰ってこない可能性もある。


だから、今日が本当に最後のお別れになるかもしれない。



でも、もし近い将来モスクワに帰って来ることが出来れば、今後は、俺は101本のバラを持って、君にプロポーズをしに行くよ。そして、



それで、もし私がプロポーズを受け入れたら??



その時は君に1001本のバラを贈るよ☆



・・・・・・



その後の展開はまた別の話とさせてもらいますが、ざっくり言えば二人でモスクワ川に飛び込みました。笑


と、こんな陽気で青くさいノリで僕のモスクワ生活は過ぎていき、そして終わりました。


他にも、「俺たちの友情に誓って、最後に死ぬまで酒を飲もう!」と言ってくれた友人や、「お前と知り合えて本当によかった!絶対日本にも行く!次は高見で会おう!」と熱い言葉をくれた友人。 
得意の自筆の水彩画をプレゼントしてくれた友人には、次回会った時にオリジナルソングをピアノで弾き語ろうか。

涙が出そうでちゃんと感謝の気持ちを伝えきれなかった先生にはまた会いに行って直接御礼を言わないといけない。

とにかく、そんなこんなで、本当にグレートでかけがえのない一年間が終わってしまいました。


人と向き合うことだけを真剣に考えて過ごしてきたこの一年間は、それまでの20数年間の人生に勝るとも劣らない多くの気付きを僕に与えてくれました。


そして、そんな素敵な思い出を未来につなげるべく、僕は新しい新天地(somewhere in Russia)で、また新しい人生を始めるのです。

まだ日本には帰りません。(帰れません・・・笑)


グッバイ!モスクワ。





昨日、アカデミーでプレゼンテーションをしてきました。





プレゼン時間:25分


使用言語:勿論ロシア語


プレゼンテーマ:当社(当社のプレゼンス、沿革、自分自身の仕事、会社の価値観等)


レベル:ロシアにおける実務で実用可能なレベル





結果は、”とてもロシア語勉強して一年の学生のプレゼンとは思えない!!!”との、教授方を始めとした評価を頂くことが出来、個人的にも非常によい出来だったなと満足してます。





ロシア語は世界で最も難しい言語の一つ。


英語みたいな”習うより慣れろ”の世界がなかなか通用せず、”どれだけ机に向かえるか”が問われる大変ストイックな言語です。





でも、そうはいっても言語は所詮手段にすぎず、人間関係の中でお互いに心を通わすことが出来て、初めて言語は言語たる意味を持ちます。





ロシア人が何に怒り、何に喜び、何に悲しむのか、このような人情を知ることが最も重要なのだと、言葉を覚えれば覚えるほど痛感します。




そして、日本人とロシア人の間には確実に考え方や価値観の違いがあります。


もちろん、日本で通じる冗談の殆どはロシアでも通じるし、70%は日本人とロシア人は同じだと思います。でも残りの30%。ここに決定的な違いがあり、ともするとこの違いが相互不理解や不信感が生じる原因となりうる。


そして、そのような原因を克服するためには、お互いの違いを頭じゃなくて心で理解できるようになることが必要なんだと。


そしてその為には、ロシア人と話し、議論し、時には喧嘩するまでぶつかる事、つまり人間対人間として深く交流する以外にないのだと。外側から観察して日本人の価値観で考察しても、ロシア人の考え方は理解出来ないのだと。友達との日々のやり取り・議論の中から、ものすごく実感します。





そして、大袈裟ですが、日本とロシアの二つの軸を持つことにより世界が一面的ではなく、3次元的に考察できるようになり、所謂国際人としての大局観の醸成にも繋がるものと考えたりもします。








と、そんなこんなで、アカデミー学生とのサッカーを通じた交流、寮学生との深夜に及ぶ議論、道端でのロシア美女への精力的なナンパ活動等を通じ、ロシア人の心への理解と、ロシア語能力の向上に日々精進して参りましたが、モスクワ滞在10ヶ月を経てロシア語に関しては、それなりに満足のいく結果を出すことが出来ており、ほぼ1年喋っていない英語よりも、今ならロシア語のほうが気持ち的には随分楽に感じさえします。





微々ながらも、この成長はまさに、まだ僕が上手にロシア語を話せないときから忍耐強くロシア語で交流してくれている友人のおかげですが、ロシア人という人格はとても奥が深くまだまだ理解深化を進める過程にあります。





そして、もう殆ど学生が終わったような内容になってますが、まだ僕には学生としての夢の生活があと1ヶ月残されております。





泣いても笑っても時間は過ぎて行き、あっという間に7月から業務が始まります。


残された時間をいかに有意義に過ごすのか。この一年の集大成。


1日に100万円の価値を感じ生きていきたいと思う次第です。





※たまにやべーブログ更新してねー!の気持ちに駆られこれといったテーマもなくブログを書き出すとどうしても抽象的になりますが誰か読んでんのか?との疑問を心に抱きながらも忙しいのでこんな感じでたまに更新することになるかなという気がします。