こんにちは
7月25日です。
昨日はゆっくりするつもりが、色々予想外のことが起こった1日でした。
一つ目。
友人をCPサロンにお誘いするため今月はエステの予定を入れず、来月の頭に予約をしようと連絡したところ、エステのお姉さまから直電。
7月中においでとのお誘いに、急遽行くことになりました
思いがけず癒され、メイクしてもらって、当社比1.5倍くらいに綺麗にしてもらってアルバイト先に。
ここで二つ目。
5年半ぶりの内科の先生との再会にウキウキしながら仕事し始めたのも束の間、受診された方のエピソードと心電図から、先生が救急搬送しないといけないと
そこからがバタバタでした。
その方が体調不良からなのか軽度認知症からなのかわからないのですが、内服を自分がされているかどうかもわからない理解度で、一人で受診してもらうのには難しい状態でした。
診療所が併設するディケアに通っている方で、前日のディケアでの体調不良をうけての受診だったので、ディケアの責任者に連絡するも不在。
担当ケアマネジャーは外部の方らしく、その方の連絡先も不明。
独居で家族の連絡先もわからない。
…これ、どーすんの
とりあえず私が救急車で一緒に受診か
となり、事務長などに連絡して、残りの内科外来をどうするか話していたところ、整形側が看護師二人体制なのでそのうちの一人の看護師さんについていってもらうことが決まりました。
そのタイミングで、ディケアの関係者にケアマネジャーから連絡がちょうど入って、その流れからその方の身内の方と連絡がとれました。
無事、身内の方とともに救急車で循環器の専門病院に搬送されました。
…が。
怖いわ、怖すぎるわ
月に一回の内科受診を頼りに、何の情報もなく受診させる対応や、緊急連絡先の聞き取りができていないこと…。
内科の先生が何の情報もないまま、私がかき集めた情報と心電図や採血データーから循環器の医師に電話で直接話をしてくれて救急搬送に繋がりましたが、なんだか綱渡りだわ…。
循環器のクリニックだと初診の方がそういう状況になるのはあり得る話かもしれないのですが、間に診療所が挟まっていてこの対応は…と、なりました。
整形単科だからやっぱり危機管理が甘いのか…。
高齢者が通うディケアを運営しているなら、必要最低限の情報はとっておけよ…、と思った出来事でした…。
そのあと、内科のゴタゴタで止まった整形外科の外来を手伝って、帰宅が思いのほか遅くなり、晩御飯の支度をして食べたら即寝でした…。
書きたいことからズレましたが…、そんなこんなで、昨日書きたかった記事です。
娘の不登校の時に参考にさせていただいた、関東自立就労支援センターさんの記事です。
以前にもリブログさせていただいています。
「本人が望んでひきこもりになっているわけじゃない」
「自分を責めて亡くなったお母さん」
今日リブログさせていただいた記事では、不登校で起こりがちな生活リズムの崩れについてや、不登校になった子どもをどう捉え、どう支援するかについて書かれており、娘とも重なる部分が大きかったのでリブログさせていただきました。
昨日の記事から繋がるのですが、私は母との間に溝があります。
娘の不登校のことを母に話していませんし、今後も話すつもりはありません。
多分、母に話しても本当の意味では理解されないだろうな、と思うからです。
私が理解されないのはいいのですが、娘に対して余計なフィルターをかけた目で見て欲しくないと思う気持ちがあります。
娘が不登校の間、色々なひとに可哀想がられたり、心配されたりしました。
その気持ちは有り難かったのですが、私は娘の力を信じたいと思っていたので、その気持ちは有難いものの、負担に思うことも正直ありました。
娘の不登校は私にとってむしろ娘を誇れる経験なのですが、母や多くの人から見たらそうではないだろうな、と思います。
弱い、繊細だから、とレッテル貼りをされることに違和感がありました。
むしろ、「学校に行かない」ことを決めた娘は強い、私はそう思っていました。
娘にとって不登校が必要なことだったのだと、今の娘を見ていると思います。
でも、中学入学を控えた2月から3月にかけては揺れに揺れていました。
生活リズムも崩れて昼夜逆転になっているし、中学に対して娘が「行けるかわからない」と言ったことから、このまま家だけにいる状態が続くと、娘がこの数年で経験できる外部との繋がりを通して成長する機会を失うことになるのではないかと思ったからです。
周囲からの声もあり、娘を学校に行かせる努力をしない私は親として失格なのかと思いました。
親として最低限の努力をしようと、娘に「学校に行ってみない?」と呼びかけをしたこともあります。
その時に娘は、「いつ行くかは自分で決めるからほっといて!」と言いました。
あの時、しっかりと自分の気持ちを伝えてくれた娘には感謝しています。
おかげで、それ以上娘を追い詰めることをせずに済みました。
けれど、娘のようには自分の気持ちを表出できないお子さんの方が多いのではないかと思います。
お子さんの気持ちがわからないから、親御さんも余計に不安が募ると思います。
私は、不登校後、生き生きとお子さんが過ごされている様子を書いておられる方のブログや、今日リブログさせていただいた関東自立支援センターさんのように不登校と専門的に向き合っておられる様子を綴られたブログを励みにしていました。
「今は」しんどいけれど、きっと笑える日がくる。
そんな風に思えたからです。
この、今は、というフレーズは、自分に厳しく真面目なひと、向上心が強い人が自分を緩めるために役立つワードだと思います。
私自身が、「今は」のフレーズに何回も救われてきました。
体調がすぐれず、ご飯の支度さえろくにできないとき。
仕事でのトラブルで自分の実力不足を感じたとき。
そして最大は、母との問題についてでした。
数年前、自分の行く末を見失ってうけた占いで母子関係の話にもなり、「お母さんのことが赦せないなら赦さなくていい。嫌なら会わなくてもいい」と言われてカルチャーショックを受けました。
私は、ひとには優しくありたいと思っていて、母を赦したいと思っていたけれど、母の言葉に赦せなさを感じて、その都度傷ついていました。
当時の私にとって、自分を傷つけることを選ぶか、母と付き合わないことを選ぶかの二択でした。
母のことを誰かに話すたび、知らず涙が溢れてきて、気持ちが波打ちました。
でも、赦さなくていい、と言われたことで、ブロックが外れました。
赦すとか、赦さないとか、自分で決めていい。
そして、「今は」母を赦せない、と、母を赦せない自分を許すことで楽になりました。
赦さないことを選ぶこともできたけど、ひとを憎んで赦せない自分が嫌でした。
この数年、自分の体調不良や仕事など色々なことを経験して、とりわけ娘の不登校を通して、自分のなかの“枠”が外れました。
不登校で悩む親御さんや、子どもさん。
「今は」、不登校であることを受け入れなくても大丈夫です。
「今は」、誰かを責めて自分が楽になるなら、それでもいいと思います。
でも、この先どんな風に生きていきたいとか、どんな自分でいたいか、を考えてほしいな、と思います。
「今、ここ」の自分が何を求めているのか、考えることで、未来へと向かう第一歩になると思います。
時に目を背けたくなったら、「今は」考えるときではないので、考えなくても大丈夫です。
「今は」、休憩が必要な時なのだと思います。
でも、変わろうと思ったら、目を背けたい自分の気持ちに向き合わないといけない時もあります。
それはとても苦しくて、目を背けたくなったり、他に問題を求めたくなるかもしれません。
でも、変容するためには、自分のなかの答えを探さないといけないのだと思います。
自問自答を繰り返すなかで、自分が本当に大切にしたいこと、大切だと思っていたけど、実はそうでもなかったことが見えてくると思います。
私は、色々ある余計なことを娘の不登校のなかで削ぎ落としていって、最後に残ったのは、娘と笑顔で過ごしたいということでした。
仕事に対する欲や、自分自身の成長や、色々な想いはありました。
でも、娘が幸せでないと、私にとってそれは意味を持たないものなのだと気付きました。
娘の不登校を振り返って、娘の成長と自分自身の気付きのために必要な時間だったと感じています。
不登校については、折に触れ書いていくのではないかと思います。
なんだか説教じみた偉そうな文章になっていないか若干心配ですが…、必要な方に届きますように…。
ただいま、親知らずの抜歯の予約のため、地域で大きめの総合病院の受診待ちです。
初診で総合受付からの案内でしたが、説明やシステムがしっかりしてる…。
ほかの患者さんへの対応も自然と目に入りますが、ちゃんとしてる…。
昨日の出来事と思わず比較してしまう私なのでした…。
待ち時間は長いですが、おかげで記事が書きあがりました
今日は歯科受診のあと、お金のセミナーを受講します
そして、夜は大好きなお友達と晩御飯&トーク大会の予定です
三連休最終日、満喫します
それでは、また