おはようございます
今朝の記事は、昨日参加したフォーラムについてです。
実は今日のフォーラムは参加している発達障がいを持つ親の会の代表が話をされるということ以外の情報がほとんどないまま参加しました。
会場に入ると、なんだか堅苦しい感じ…。
配られた資料を見ると、後援の団体は教育系ばかり…。
参加者の方もどうやら教員の方ばかり…。
あらら、場違い…と一瞬思いました。
ですが、内容的には教育現場の現状などがわかって満足感の高いものでした
会の性質上、いつものようにはすべてを書くわけにいかないのですが、覚書の意味もこめて、差し障りがないと思う範囲で書いていきたいと思います。
(参加されたい方がいらっしゃるかと思い、昨日の記事にフォーラムについての詳しい情報を載せましたが、本来関係者の方のみ知り得る情報も書いてしまったかなと思い、一部削除しています)
昨日参加したのは、情緒発達についてのフォーラムでした。
「一人一人の自立を考える連続した支援の充実を目指して」~ライフステージに応じた指導・支援・連携のあり方を探る~というテーマで、教育機関、医療現場の方の様々なお話を伺いました。
午前の部のフォーラムは1.幼児期・学童期について、2.思春期・青年期以降についてで、それぞれ別会場で行われました。
私は親の会の主催の方が話をされるのと、娘も思春期にあたるので、2のフォーラムに参加しました。
壇上発表として、公立高校での“通級”についてのお話がまずありました。
通級とは通級指導教室の略で、比較的障害の程度が軽い子どもが、通常の学級に在籍しながらその子の障害特性に合った「通級による指導」という個別の指導を受けるための教室です。
その通級でどんな授業が行われているのかについて、通級に関わっておられる先生からお話を伺いました。
小・中学校ではどの学校にも「なかよし学級」という形で存在しています。
学校教育法施行規則の改正により、高校での通級支援が行われるようになり、兵庫県では平成30年から9校を兵庫県の研究指定校としています。
神戸新聞記事
産経WESTの記事
昨日の振り返りをしようと調べながら書いていて、数年前まで高校に通級指導教室がなかったことに気付きました。
私の学生時代を振り返って、小学生の時は通級の子の存在を思い返せましたが、中学に入ってからはどうだったかな、と…。
高校時代を振り返り、確かになかったな、と…。
今、発達障がいについての研究や理解が進み、診断も受けやすくなりました。
今までなら見逃されていた、グレーゾーンと呼ばれる存在も増えてきました。
不勉強のため、高校に通級指導教室ができた経緯やそれまでの取り組みなどについては知らない状態なのですが、「高校には今までなかった」という事実、自分がそれに今まで思い至らず生きてきたということが少し心を重くしました。
障がい者の方も共に生きているという意識はあります。
でも、やっぱり自分の意識は薄いのか、と思いました。
いわゆる日常の生活のなかで、障がいを持つ方も当たり前のように生活し、学び、就労する必要があります。
けれど、そんな当たり前のことが見えていなかったなと思いました。
これは親の会の代表の話にも繋がっていきます。
代表の方は、今年19歳となる娘さんがおられます。
リブログした記事に詳しくは書いていますが、娘さんの発達障がいと向き合うなかで娘さんに必要な支援を求めたときに、適当なものがなかったため、自分で親の会、児童ディセンター、放課後ディなどを作られてきました。
その活動が高じて社会法人として活動されるようになり、発達障がいを持つ親御さんの相談支援をされるようになり、各教育機関と連携を持たれるようになりました。
代表の話のなかで、障がいについて語られました。
多くの人が、障害を持っていることで生きづらいと感じています。発達障害に関しては、誤解や偏見で苦労している人が7割以上いると言われています。
では、なぜ生きづらさを感じているのでしょうか。
そんな問いかけから始まった話は、ICF(国際生活機能分類)の話になりました。
こちらのサイトから画像をお借りしました。
障がいを持っていても、持っていなくても、ひとが生活する上でどう生きていくのかということについて、一つの指標となるものです。
「何らかの理由で制限されている状態を障害という」のであり、できない要因を一つ一つ分けて考えていき、「〜があるから、〇〇できない」ではなく、「〜があれば、〇〇できる」という風に考えていきます。
この考え方をすることで、周りの環境次第で障がいがあっても生きやすくなると言えます。
先の、障がいを持った方との関わりについての話に戻ります。
障がい者施設の方の作られた作品などを地域のバサーなどで目にすることはあります。
そして、娘を子育てするなかで障がいを持った子が娘と同じクラスになったり、娘の友だちのきょうだいが障がいを持っている場合もあります。
それはでも、間接的な関わりです。
自分自身の直接的な関わりとしては、小学生時代で止まっているのです。
これに気付いたのは、なかなかの衝撃でした。
医療関係に身を置く私でもこの感覚なので、一般の方はどうだろう、と思いました。
親の会の代表が、障がいのある方との関わりの流れとして話されていたことが深い意味を持って思い返されました。
1、疎外されてきた
(たとえば精神疾患を持つ人を家の恥として、家のなかに閉じ込めたりするというようなことも昔はありました)
↓
2、分けて考えられた
なかよし学級と通常級に完全に分けて教育が行われてきました。
↓
3、全体のなかの一部として組み込まれるようになった(インテグレーション)。
なかよし学級にも在籍しながら通常級でも授業を受けたり、分けるのではなく融和がはかられるようになりました。
↓
そして、今の時代に目指していくのが、4です。
4、障害を持っていたとしても、それぞれの個性として、共に生きる(インクルージブ)。
頭では理解していたつもりだったのが、自分の感覚になった気がしました。
娘の不登校や、自分自身の今までの生きづらさ。
(HSPは確定で、ADHDかも?と思っています)
「普通」になろうとして、「自分」を見失ってしまい、疲れてしまう。
これは、午前の部の総評をしてくださった教育大学で特別支援教育 障害科学コースの教授をされている方のお言葉ですが、それが生きづらさの根源だと感じました。
障害を“害”と書くのに抵抗があって、私は記事では基本的に障がいという記載をさせてもらっています。
ただ、障害としか書けないときもあるのを感じます。
こちらの記事も今回読みました。
障害が現実に障害となっているうちは、障害と書いた方がいいのかな…、と思ったりもします。
改めて色々考えることができた午前の内容でした。
続いて午後の部は、児童精神科医の観点からのお話でした。
病院勤務をされるなかで、病院でできることの限界を感じられ、少年院での医師としても働かれていた経歴をお持ちの宮口幸治氏が講演をしてくださいました。
著作も多く出されていて、最新刊がこちらだそうです。
ケーキが切れないのには、認知のゆがみがある、というお話でした。
匂う、みる、きく、触れる、味わうという感覚を受け取る認知機能自体にゆがみがあるので、目に入るもの聞くものが正しく理解できない。
理解できないから、誤った行動を起こしてしまう。
非行少年の多くに、この認知のゆがみがあるとのことでした。
最近、認知行動療法に注目が集まっています。
認知症、うつ病、子どもの教育、様々な場面で使われていますが、認知行動療法とは、「認知できていること」が前提にあり、そもそもの認知がゆがんでいる場合には効果はないのではないか、というお話は目から鱗でした。
知的障害として、1959年のヘバーの定義ではIQ84以下とされていますが、その定義で分けると約14%にあたり、クラスに5人は存在する人数だそうです。
現在は知的障害の定義は1973年にグロスマンが定義したIQ69以下、約2%でクラスに1人程度が採用されています。
つまり、現在の学級のなかでも、見落とされている数人がおり、それがいわゆる“おちこぼれ”となってしまい、そこから非行に向かうことは少なくないというお話でした。
そんな非行少年の更生プログラムとして、宮口氏が提唱されているのがコグトレです。
現在は、教育現場でも採用されることが増えているというお話でした。
①覚える②写す③見つける④数える⑤想像するという五つの要素を鍛えるもので、計算が苦手な子、漢字が書けない子にもコグトレは有効とのことです。
宮口氏は、コグトレ研究会として活動をされています。
数種類の数字のなかで、合計16になる組み合わせを繋いだり、スタンプの絵柄を見て、実際に押したらどんな風になるのか正しいと思う絵を例のなかから選んだり、と、楽しみながら頭の体操になる問題をいくつかご紹介していただきました。
コグトレの問題集も多く出版されています。
お話がわかりやすく、ユーモアも交えての講演で、途中笑いの渦が…
午前、午後共に学びの多い講演でした
以上、昨日のフォーラムのレポでした
何か少しでも参考になるものがあれば幸いです。
娘が不登校にならなかったら親の会に参加することもなかったし、発達障がいについて考えることもなかったと思います。
娘の不登校は、私にとっても大きな意味のあるものだったなあ、と折にふれ感じます。
そして…、告知というか、応援をもう一つ。
リブログを何回かさせていただいている、
たたかう産業医 井上智介さんがなんと本を出版されました…
HSPや発達障がいなどについても、いつもわかりやすく記事にしてくださっています。
“HSPのひとはどんな人をお手本にすればいいのか”のリブログ記事
人生ラフに生きていこうよ
(rough=大雑把)に、(laugh=笑い)ながら
井上さんの記事を拝見すると、いつも肩の力を抜くことができて、自分に優しくなれるので、今回本を出版されると聞いて嬉しい驚きでした
昨日が発売日で、出版部数が少ないとの話でドキドキしていたのですが、無事手にすることができました
↑
本は本屋さんで買いたい派
Amazonの方が確実かも、とのことでした
こちらも関心がある方はぜひ〜
積読の山がなかなか崩せていないので、また読めたら詳しくレビューさせていただきたいと思っています
今日は三連休最終日
家でゆっくりして、夕方からは明日からのハードスケジュールに備えてカラダファクトリーでメンテナンスをしてもらってきます
それでは、また〜