おはようございますニコ

昨日の記事で祖母が他界したことを書いたところ、祖母を悼む言葉や、私に対して労いの言葉をいただきました。
ありがとうございます。


昨日久しぶりにブログを更新したあと、友人にも久しぶりに連絡をとり、祖母が他界したことや近況を報告しました。

私のブログは身近なひとへの近況報告も兼ねているので、更新が途絶えると心配してくださる方もいて…。

有難いなあ、と思っています。



祖母の死が突然だったので、実感が湧かないまま、祖母に対して何ができたのかと自問しながらこの1ヶ月を過ごしていました。


気持ちの整理も兼ねて、祖母と過ごした2週間余りを振り返りたいと思います。



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誰かの死、特に身近なひとの死を受容することは、痛みを伴います。

祖母のことを振り返るにあたり、益田ミリさんのエッセイ、「永遠のおでかけ」が頭をよぎりました。

祖母は明け方一人で旅立っていきました。

普段なら私が起きるまで起きていた夫が、その日は早めに就寝し、私が目覚めるまでの数時間の間のことでした。


父を亡くした時にも感じたのですが、私はひとは亡くなる時、そのひと自身が選んだタイミングで旅立っていくのかな、と思っています。


なんとなく、祖母の最期の時は夫が手を握って、今までの感謝の気持ちを伝える形で迎えるのかな、と思っていました。

でも実際は違い、祖母は一人で旅立っていきました。


自宅で看取ることにしたのにそれで良かったのか…、と思いましたが、今は、祖母が最期の姿を夫に見せなかったのは、繊細な夫への気遣いであり、祖母の優しさだったのかもしれないと思います。


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益田ミリさんの、“永遠のおでかけ”と表現される死の捉え方が素敵だな、と思っていて、祖母の死も穏やかにそう受け止めたいなと思っていました。


でも、自分の書いた介護日記を改めて読み返して感じたのですが、あまりにも短期間に色々なことが起こりすぎて、混乱するなかでの8月から祖母の旅立ちまでの1ヶ月余りでした。


進まざるを得ない状況に気持ちが追いついていかない状態でした。
そのなかで祖母に十分なことができたのか、という想いも湧いてきて、祖母が旅立ってからも気持ちの整理がつきませんでした。


自分の心身の不調も続き、リセットできなくて、祖母がおでかけしてから気持ちが整理できるまで1ヶ月かかりました。


私は血が繋がっていない存在で、また、看護師という職についていることから余計に整理がつきにくかったのかもしれません。

夫の方が自然に祖母の死を受け入れていたような気がします。

私は現実味がなく、なんとなくガラス一枚隔てたところで事が起こっているような感覚でした。


「家族として」祖母を迎え、送り出す気持ちの準備ができないままに送り出すことになったからかなあ、と今は思います。

1ヶ月経って、昨夜ようやく夫とも祖母と過ごした時間について話すことができ、棚卸しができた感覚になっています。


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介護日記④は、祖母が退院した翌日に書いた記録でした。
この時、思いがけず祖母の反応が良く、食も進んで嬉しく思いました。

けれど数日して、食事でむせるようになりました。

翌日にはトロミをつけたお茶でもむせてしまい、できていたうがいもできなくなり、吸引を頻回にしなくてはならなくなりました。


ゴロゴロと喉を鳴らす様子や、38°台の熱を出す様子に、食べたり飲んだりしてもらうことに躊躇いを覚えました。


往診をお願いしていたクリニックはとても親身に寄り添ってくださり、クリニックの通常の診察が終わった後に電話を下さったりしました。


そして、「今の状態では食べたり飲んだりは一旦撤退して、点滴をして、状態が落ち着いてから仕切り直してもいいと思いますよ」というアドバイスをいただきました。


点滴をすることは、無駄に苦しい思いをさせることになるのではないか、そして、一度始めてしまうと止めどきがわからなくなるという思いがあり、躊躇われました。


でも、無理に食べたり飲んだりすることで熱が出て祖母の体力が奪われたり、痰が増えて苦しい思いをするのも可哀想に思いました。

そこで退院して数日で点滴が始まりました。


なかなか入らないと心配されていた祖母の血管でしたが、先生が上手に入れてくださいました。


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点滴が始まり、痰が増えた状態であることから訪問看護を勧められて、訪問看護も2、3日おきにお願いすることになりました。

往診や訪問入浴などと併せて、毎日のように誰かが訪ねて来てくれる状態になりました。


退院までの間に十分にスケジュールを組む余裕がなかったため、夫や私の仕事の予定とつき合わせながら、その場その場で次回の訪問日を決めていく形でした。

手探りながら、色々細々と決断しないといけないことが多くて、それがしんどかったです。

また数々の契約や支払いの請求など、事務手続きが苦手な私にとって億劫なことが多くありました。


介護サービスを受けることに抵抗がある高齢者世帯が多いと聞きますが、確かに誰かに入ってもらうということはしんどいことだな、と思いました。

慣れてくればルーティン化するのでしょうが、知識としてはあっても、実際に我が事となると、こんな感じになるのか…、と思いました。


自分が看護師であるということも重荷に感じたりしました。

どこまでお願いして、どこまで自分がやればいいのかの線引きがうまくできませんでした。


そのなかで、訪問看護の看護師さんはさすがだな…、と思いました。

一時、訪問看護の道に進もうと思った時期があったのですが、実際に訪問看護の方に入っていただき、尊敬の念を抱きました。

なんというか、安心感が凄くて、看護師としても勉強させていただきました。


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点滴を開始してから、「いつまで点滴を続けるのか」ということが問題になってきました。

経口摂取ができない以上、点滴をしないという決断は死を早めることになります。

でも点滴で長患いをするのはどうなのかという思いもありました。

祖母の意識がはっきりしている分、結論を出すことが難しく、2日に一度点滴をするという段階的な結論を出しました。


点滴の量を減らして尿の出は悪くなったものの、意識はハッキリとあって、血圧も落ち着いていたので、ジワジワと弱っていくだろうけれど、まだまだ元気で過ごすものと思っていました。


けれど別れの時は思っていた以上に早く、あっけない形でやってきました。


祖母の死を職場などで報告したとき、「家で過ごせて良かったと思うよ」という言葉を色々な方からいただいたのですが、看れた、というほど看れなかったという思いが強くて、かけていただいた言葉がうまく呑み込めませんでした。


けれど1ヶ月経った今、「これで良かったのかな」とやっと思えるようになってきました。


十分なことができたかどうかはわかりませんが、精一杯は夫も私も、そして娘もできたのかな、と思います。


またふと思い返して祖母のことに触れることがあるかもしれませんが、我が家の介護日記はこの記事でひとまずおしまいにしたいと思います。

優しいお言葉をくださった皆様、ありがとうございます。

今現在、介護をされている皆様、どうぞお身体をご自愛ください。


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今日は娘も部活がなく、久しぶりにゆっくり過ごせる一日になりそうです。


家の片付けや、娘リクエストの買い物や、そして久しぶりにKちゃんと晩御飯を一緒にする約束をしているので、それが楽しみですニコニコ


娘が起きるまで、のんびり片付けをしたり、本を読んだりしたいと思います。


それでは、またキラキラ
皆さま、良い一日をお過ごしください音譜音譜