12月8日に開催された彩ふ読書会、神戸読書会の第一回目の課題本になった「不思議の国のアリス」の記事です。
前編はこちら↓
それぞれ気になるシーンについてお話いただいたので、他の方の話を聞いて気になったところや、意味がわからなかったところについて皆さんに尋ねてみました。
アリスの世界は混沌としていて、不条理な描写もたくさんあり、カオスな世界です。
まず挙がったのが、カエル顔の召し使いとアリスのやりとりでした。
「ノックしたって、どうもならん。」カエル顔の召し使いが言いました。「それには二つのわけがある。第一に、わしゃおぬしと一緒にドアの外におるからの。第二に、なかじゃ大さわぎしとるから、聞こえやせんのじゃ。」
(中略)
「では、どうしたら」とアリスが言いました。「なかに入れますか。」
「ノックする意味があるのは」と、召し使いはアリスのほうを見向きもしないで続けました。「わしらのあいだにドアがあるときじゃ。たとえば、おぬしが内側におって、ノックしよったら、おぬしを外に出してやれるじゃろ?」
"ノックする"という行為が、ただ単純にドアをノックする意味だけではないのではないか?
という疑問提起でした。
私も「あいだにドアがあるときだけ」という表現が、心理的な距離のことを暗喩しているのかな?と感じていました。
他の方からも、「中にいるひとにノックする」というところが意味ある表現ではないかという意見がでました。
アリスでは、詩や歌が多用されています。
物語の始まりも、下の韻を踏んだ文章から始まります。
以下、河合祥一郎さんのあとがきより引用します。
ライムを訳す?理屈を訳す?
英語には「意味」のほかに「ライム」(韻)があり、キャロル自身が『ライムか?理屈か?』と題した詩集を出版(1883)していることからわかるように、言葉の響きはキャロルにとってとても重要でした。この翻訳では、そうしたキャロルの思いを生かして、英語の響きの面白さをできるかぎり日本語で表現するように努めました。
ちょうどシェイクスピアが言葉遊びやライムやリズムなどを使って劇的世界を形成したように、キャロルの世界でも、言葉の字義的な意味のみならず、音の響きが大きな意味を持っています。また、ノンセンスーー言葉の不在ーーという意味でも、シェイクスピアとキャロルは重なります。一見低レベルな言葉遊びが哲学的・論理的思考と結びつき、ばかばかしいのに高尚であり、笑えるのに深遠であるといった特徴が、シェイクスピアと同様、キャロルにもあるのです。
訳者の河合祥一郎さんはケンブリッジ大学で博士号をとられ、イギリス演劇・表象文化論を専攻されています。そして、シェイクスピア研究者でもあります。
私は海外文学を読むときは、「あとがき」を読むまでが物語と思っています。
参加者の方で、私と同じ本をお持ちの方がいらしたのですが、あとがきは印象に残っておられないとのことでした。
「自分の解釈と混ざるから読み飛ばす」と言われていました。
その感覚もよくわかって、私もある程度自分の解釈が定まってから、自分の解釈と照らし合わせをするようにあとがきを読みます。
河合祥一郎さんはイギリス留学経験があり、シェイクスピアの研究をされている観点からの解説を書かれていて興味深かったです。
海外文学は、その国の郷土や文化を知らないと楽しめないというご意見が午前の部の推し本形式読書会でも出ました。
日本でアリスにあたるものは何かと考えてみたら、『千と千尋の神隠し』かな、と思った。
この作品でも少女の混乱が描かれている。
参加者の皆さまが、「おー」となったご意見でした。
そして、「『千と千尋の神隠し』もわからなかった。『もののけ姫』は共感できた」と男性参加者の方が言われたのも面白かったです
今回、「アリスの世界観が理解できない」と男性陣が頭を悩ませておられたのが印象的でした。
男女差なんですかね
男性は現実的なこと、実用的なことを好むのかなあ、と思いました。
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実はまだ続きます。
次の記事でまとめの記事としたいと思います。
よろしければ引き続きお付き合いください