霊感あるほう? ブログネタ:霊感あるほう? 参加中
モンゴルだるま@モンゴルのどっかから発信中、です。

モンゴルはすっかり朝晩が冷え込んできました。
一ケタ台はやはり秋っぽいといってよいと思います。

ひんやり、ゾクゾクする・・・といえば、この時期は、怪談ですよねえ。
霊感っていうと、やっぱ心霊とか悪霊のたたりとか、そういうものが見えたり、感じたり、お祓いしちゃったりできるっていうほうなんだろうね。

最近は、モンゴルでも怪談ブームみたいです。
稲川淳二さんの怪談シリーズ番組がモンゴル語吹き替えで放送されたりしています。

モンゴルでも幽霊みたいなお話や地縛霊もどきや鬼やお化けの類のお話や狐火に化かされるって話は結構あるんですね。

というわけで、そんなにすっげー霊感があるってわけではないけれど、それなりに「ピンと来る」系第六感でこの世をわたってきた私の、プチな不思議霊感現象Inモンゴルなどをご紹介してみたいと思います。

《モンゴル東北部 ヘンティーアイマグ》

私も実際、チンギスハーンの陵墓を探す、という壮大な日本とモンゴルの史上初の合同学術調査に通訳として参加したとき、トゥブアイマグのムングンモリットソムから、次のベースキャンプであるヘンティーアイマグのビンデルソムに行く途中の道で狐火に化かされ、調査隊の車両8台のほぼ全部が、迷走・迷子になってしまう、というびっくり体験をしました。

皆、自分の前の車のテールランプをおっかけているつもりで走っていたのに、ふと気がついたら、道なき道をグルグルしていることがわかって・・・

そのあたりは、その後も何度もGTZ(ドイツ政府の国際協力機関)のプロジェクトでやった地元主導型持続的発展ツアー(ようはコミュニティベースのエコツアー)の対象地域にして、遊牧民有志グループのワークショップのインストラクターとして訪れたり、会社としてお客様を送ったりしたわけですが、お客様がいない状況で私と運転手だけっていう状況で通ったときにもやっぱり狐火で惑わされたこともありました。

土地の人に言わせると、チンギスハーンの聖地を守る人たちによる不思議な力が働いてるんだそうです。

GPSもコンパスも狂っちゃうし、結構立派な無線機が使い物にならなかったり、ほんとに不思議なことでありました。
チンギスハーンの守り人たちのパワーかどうかはわからないけれど、モンゴルの大地ってむやみやたらと開発しちゃいけない荘厳さがあるって思います。

《モンゴル北部 フブスグルアイマグ》

いまだ自然霊信仰が根強いフブスグルアイマグ北部などでは、「エゼンテイ(主がいる)」土地って言われてるところがあって、そういうところって、やっぱり、「何かおる!」っていうパワーを感じます。

ダルハド族やツァータンの人たちは、未だにシャーマニズムやアニミズムを大切にしています。
でもそれって自然の中で、自然と共に暮らしていれば当たり前に精霊的存在を受け入れることになるし、「ある」っていう前提で暮らしていれば自然と感じられるようになるものなのかなあって感じです。

「自然の偉大なる聖なる存在」を感じられるってことは、生きる上で必要なタブーといった自主規制をするようになります。だから、今まで、原生林や大地が守られていたんだろうなぁ。

でも最近は、外部から金鉱山開発の手がのびてきていて、ツァータンの人たちも、鉱山開発の人たちの荷役アルバイトでお金を稼いでいたり、金鉱山で「ニンジャ(個人的な金探しをする人たち)」で一攫千金を目指す若者もいるみたいです。現金流通経済が浸透し、「人の世の流れ」とかに影響されるようになってくると、どんどん自然の聖なる声が聞こえなくなっていくのかなぁ?

正直、モンゴルの「大地の主人」となる存在ってわりと「あらぶる神」な感じで、かなり厳しいタイプだから、私なんか、怖くて枝一本折れないし、草だって根っこから引っこ抜いたりできません。

《実は日常的にピンときちゃってます》

私、子供の頃から結構、あてずっぽうでズバリ当てちまう(見えてるわけでも感じてるわけでもないのに、何気につぶやいたことが、「なんでわかっちゃうの!?」ってびっくりされるというタイプの霊感?というか第六感が強いです。

ガナー君のように単純明快なタイプの人などは、離れているときに何があったのか?とか誰かとの会話がどうだったのか?とか、ほんとあてずっぽうで根拠もないのに自信たっぷりに決めつけたように「○○だったんでしょ?」とかいうと心底ぎょっとされちゃうのです。

初めて訪れた土地とかでも、処刑場があったところ、とかいわゆる神社があるところなんかは、その経緯なんかがそこはかとなくわかるというか・・・これまたあてずっぽうで、「こうなのかなあ・・・」なんてつぶやいていると、地元のおじいさんとか神主さんなどに確かめると、やっぱり「そうだった」ってことはよくあるのです。

なくし物が多いのは、ずぼらで散らかし屋さんだからなのですが、同時に「かりぐらし」の小人さんと長年よりそって暮らしているからじゃないかと思うわけです。

ほんとにほんとに困ったとき、「小人さん、小人さん。ほんとに困っちゃってるので、どうか出してくださいませ」ってお願いしてから寝ちゃうと、翌日は、「はっ」と何気なく触ったところとか、開けた引き出しから探し物が出てくるのです。小人さん、ありがとー!

沖縄の島とかキジムナーがいそうなところとか、ノロさんやユタさんのお墓の場所とか、今でも生きているノロさんやユタさんのおうちとかって通っただけでピンと来ます。あー、ここ、いいところだなぁ?とか特別な場所なんだろうなぁって。フブスグルの針葉樹林帯タイガの中とか、草原の小さな泉とか、やっぱり「精霊が宿って守ってくれてる」って場所を感じることがあります。そういうところって、やっぱり地元の人たちが青い絹布(ハダク)を結んでたりします。
私が好きな聖地っていうかエネルギーのある場所は、あんまりゴテゴテと仰々しく祭られているところよりも、ちょっぴりひっそり、地味な感じのところです。

そういう意味で、日本の神社って、ほんとは派手派手な建物や何かオブジェがあるところとは違う、外れたところにひっそり、ホントはこっちにいらっしゃるんでしょ?っていう小さな石が積まれていたり、樹があったりするので好きです。

他人の過去や未来や現状で抱えている問題なんか、何にも言われなくてもわかる、っていうか感じる。
だからといって、私がそういう問題とかを解決できるわけではないから、よっぽどのことがあって、相手が相談したそうってことじゃない限り、黙っています。
普通の人が見せてないことや口に出さないことは、やっぱり察しても、感じないようにシャットダウンしておくのが礼儀なんだと、大人になって、ひどい人間関係の摩擦や命がけの修羅場をかいくぐっているうちにようやく悟りました。

霊感っていうと、なんだかおどろおどろしい感じなスーパーパワーな気がします。

私のはそんなにかっこよかったり、由緒正しそうだったり、お金儲けっつーか、霊感ビジネスとかできるようなスピリチュアル系の力ではないと思います。

ただ自然と仲良く、自分の心と身体を健やかな状態に保ちながら、愛する人とできる限り良好な関係でおつきあいするために、なんとなく有効利用できたらいいな、っていう程度のシックスセンスです。

占いとかは当たる、っていうよりは、見えるっていうか・・・やっぱりあてずっぽうのイマジネーションなんだけど、わかっちゃうんですよね。なんとなく。
もっと修行とかすれば、ちゃんと自信をもって、語れたりするようになるのかもしれないけれど、今まで40年以上、この第六感を磨こうとか鍛えようとか、志を持って生きてきたわけではないけれど、別に40歳過ぎても能力というか感覚が鈍るわけでもないみたいなので、ま、このまま大事にしておこっかな、と思います。

霊感というのが、霊的に神聖な存在を感じることができる力、ということなのであれば、それは神様を受け入れて、生きようとなんとなく覚悟というか、その存在を受け入れたときからずーっと当たり前のように与えられたものなのやもしれません。

日本と違って、モンゴルの人たちってほんとこの世に未練を残したりしないのか、そもそもあの世の人口密度も低いせいなのか、ほとんど「幽霊スポット」ってありませんね。

口裂け女じゃないけれど、「都市伝説」的な幽霊(心霊)スポットはあるけどね。

というわけで
《ウランバートルでわりと知る人ぞ知るスポット》

ほんとに「ソレ」を見ちゃったときは、「うっそーーーーーー」って驚きました。なんだこりゃ?って。
深夜にフラワーホテル近くの「トンネル」の車道を通るときはご注意を。
真っ赤なワンピースタイプのドレスをきた髪の長い女がぼーっとつったってることがあります。
もう10年以上、あそこにつったってるから、「それ」は、地縛霊なのか、ただのおしゃれな地霊なのかわかりませんが、常連さんです。いつもいつも見れるわけじゃないんだけど、よっぱらいのお姉さんみたいな感じでゆらゆらと道路のど真ん中を歩いています。

大韓航空など深夜到着便のお客様をフラワーホテルにお送りした帰りに、ガナー君とよく出くわしちゃいます。

別に全然、害がありそうな感じはないのですが、やっぱり、あぶないよなー、道路の真ん中は歩いちゃいかんよ、と毎回思います。

というわけで、わりと日常的にどこでもシックスセンスが発動できてしまうため、いわゆるの「視えちゃった」とか「感じちゃった」系エピソードには数限りありますが、別に「不思議ちゃん」なわけではないので、今までどおり、普通におつきあいくださいませねー。

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