藤沢あゆみです。
びっくり!
昨日の父の告別式の記事が、アメトピに掲載されました。
ありがとうございます!
実は、一月に実家に帰って父の容体について覚悟しておいてくださいと言われた時の記事も取り上げていただいたんです。
アメーバさんが、父の人生を応援してくださっているようでうれしいです。
とくにうれしかったのは、アメトピに上がるときのタイトルの付け方です。
父の告別式を終え姉夫婦に感謝
姉夫婦への感謝は、最後に一言かいていた言葉です。
見つけていただきありがとうございます。
目立つことが好きで主役キャラの父へのありがたい供養になりました。
初めて見てくださったあなた
藤沢あゆみともうします。
2003年から作家としてこれまで29冊本を書いています。
恋愛相談やブログを書くことから出版をかなえました。
出版や、エモい文章の書き方、恋愛、人間関係、自己実現などあらゆるご相談に答え、スパッと問題を解決するコンサルタントとしても12年間活動しています。
今日は父、四方哲也の読む情熱大陸を書かせていただきます。
昭和8年2月11日に生まれた父は、父親が若くして亡くなり、母親は父と叔父を置いて家を出てしまったり、幼少時代に生死をさまよう大病をして、ハードモードな人生をスタートします。
父を引き取ってくれたうちは、駄菓子店を営んでいて経済的にはそれほど苦労はなく、甘いもの好きな父にとって天国、ですが、実の親ではないことで気を使った父は頭を働かせます。
そろばんが得意だった父はいいそろばんを買いたいと考え、もらったおこずかいを少しずつためておいて、実際そろばんを買うためにもらったお金にためておいたおこずかいを足していいそろばんを買ったりしていました。
そんな父は、地元では大きな会社に入り、創業者の娘である母と結婚します。
ある時その会社で、意識調査が行われました。
今の仕事に満足しているかなどの項目があり、父は満足していると答え、これから昇進していくぞとはりきっていました。
ですが思惑が外れ、父は出世街道から外れてしまいます。
あの意識調査は何だったのか?
このことが父の起業家魂に火をつけました。
父は会社の有志3人で起業しました。
わたしのなかに仕事は作り出すものだという感覚や、なにかあったとき環境のせいにしない感覚があるのは、父の姿を見てきたからだと思います。
そろばんが得意な少年は、経営者になって自分で経理をこなしました。
会社が半焼し、社員さんに給料を払い続けるため、父は給料10万円で、家族4人が暮らした時もありました。
母が亡くなってから当時の日記が出てきて
私は何があっても主人を支える
と書かれていてぐっときたことがあります。
母が亡くなったとき、父は最後のあいさつで
会社を興したことで苦労をかけたけど二人三脚で歩いてくれたので最後までやり遂げることが出来ました
と話しました。
母の棺に入れた
弥生さん、これからは毎日仏壇で会いましょう
という父の手紙は今思い出してもきゅんとします。
いい夫婦だったんだなぁ。
その時感じたことを、今回父のDVDを作っていただくにあたって写真を選んだ時再認識しました。
母といる時の父、本当にいい表情をしているんです
いつかは父にわかる仕事にしたい
そんな思いでネットのおなやみ相談に答えるところから、父にもわかる作家という仕事にできました。
ですがもうひとつ
父はミッションを残して逝きました。
ことし2月、まだ話せたとき
父はわたしの仕事のことをうまく行っとるんか?と心配していたそうです。
父が心配しなくていいビジネスウーマンになる。
だからお父さん、わたしをみていてください。
あなたの起業家魂で、わたしを叱咤激励し続けてください。
藤沢あゆみ