大変悲しく,耳を疑いたくなるニュースが今朝耳に入ってきました.

 

たまたま昨日,アメブロを開いたら,サイドバーに「3年前の5月に書いた記事」と表示されていました.

 

その時は,「そういえば,こんなこともあったなぁ,もう3年前か…」と思うにとどまりました.

それで,今日,上島さんの訃報を聞いた時に,「えっ⁉」となったわけです.

 

以下のリンク記事にて上島さんの元気な様子も伺え,収録中も本当に私たちを楽しませてくれました.

上島さんは,師匠と慕っていた志村けんさんがお亡くなりになってから心を病むようになったと聞いておりますが,

 

もちろん真相は分かりません.

 

しかし,心の病とは,表向き,第三者からは非常に分かりづらく,地位や名誉なども関係なく,

 

明日は我が身…誰しも,自分は大丈夫と思っていても突発的なストレスが重なった時,どうなるか,予想できません.

 

人間は,神ではないので,程度の差はあれ,本当に強い人はいないと思っています.

 

ただ,弱音を口に出して吐くか,吐かないかの違いともいえます.

 

弱音を適度に吐く方がため込まず,心にとっては良いのかもしれません.

 

男は弱音を吐かず,淡々と過ごすことが美徳とされてきました.

 

いつからこうなってきたのでしょう?

 

戦時中からその後の高度経済成長期の「寝ずに働け!」「上司が右に行けと言えば,例え間違っていても右だ!」

 

というような,重工業化社会では,こうしたことで一定の生産力が確保され,経済を向上させてきた要因ともいえます.

 

今は情報化社会,コンテンツ,個人の時代であり,こんなやり方では,当然うまくいきません.

 

柔術家のヒクソン・グレイシーが以前インタビューで,

 

「日本の侍文化は尊敬に値するが,主君のために自己を犠牲にする点だけは理解できない」

 

「もっと自分の考えを尊重すべきだ」

 

と述べていました.

 

侍精神に関心があるヒクソンからこうした言葉が出たことに驚きましたが,これは正しいですね.

 

未だに我々の中に主君に使える自己犠牲の精神を美徳とし,

 

それを美談などに仕立て上げた作品は数知れず…

 

………

 

上島さんの話に戻りますが,収録が終わり,それぞれの楽屋に戻るときに,

 

上島さんの方から「お疲れ様でした!」とわざわざお声がけして下さいました.

 

同様に2年前にお亡くなりになった三浦春馬さんも,

 

私がある方の舞台を観劇し,楽屋に挨拶しに行った時,帰りに扉を閉めながら「それでは失礼します」

 

と言って帰ろうとした時,楽屋の外で食事を摂っていた三浦さんが「お疲れ様でした!」

 

と,面識のない私にわざわざお声がけをして下さいました.

 

その時の印象は,今でも忘れられないぐらい程に爽やかで,

 

少し失礼な言い方になるかもしれませんが,「ナイスガイ」そのものでした.

 

…本当に心が優しい方は相手に原因を求めるのではなく,自分の方にその原因を向けてしまうのかもしれませんね.

 

そんなことを色々と考えさせられる午前となりました.

 

お二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます.