命日を前に | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。


もうすぐ命日。


その前に、辛い辛い、苦しい闘病の時期がやってくる。


そう考えるだけで胸が苦しくなる。


ため息が出る。


あれから早、1年が過ぎようとしている。


信じられない…


すごく不思議な感覚。


1年が経とうとしている今、生活はすっかり落ち着いた。


見た目もいたって普通だと思う。


でも急に悲しみは襲ってくる。


喪失感に襲われると、悲しくて辛くて怖くなってたまらなくなる。


沈んで沈んで、とことん沈んで…


とことん泣いたら、あとは這い上がるだけ。


不思議と自然に上がってくる。


泣きたくても全く泣けない時もあれば、いくらでも泣けて涙が止まらない時もある。


今もずっと変わらないのは、心にポッカリと空いた穴…


喪失感。


何で敦希はいないんやろ…


時々分からなくなる。


敦希に会いたい。





敦希が生きていたら1歳5ヵ月。


どんな幼児の姿になってたのかな。


どんな風に成長していたのかな。


敦希を健康に生んでやれなかった後悔。


でも正直、健康に生んでいた時の想像はあまりできない。


健康に生んであげることができていたなら、きっと今頃私は働きながら育児をしていて、長男も敦希も元気よく保育園に通っていたのかな。


長男と敦希、2人で元気いっぱいに走り回って遊んでやんちゃしてたのかな。


私は敦希にも怒っていたんやろか?


敦希にイライラしたことなんて一度もないから想像できない…


「いやっ!」とか言ってたのかな?


敦希の「いやっ!」


…想像しただけで可愛すぎ。


姿は5ヵ月の赤ちゃんのままやけどね。


敦希が病気でも、あのまま元気に生きていてくれたら私はそれ以上何も望まなかった。


一生、内服薬や運動制限があっても、普通の生活が送れるなら、まずはそれだけで十分だって思ってた。


もっとも、敦希は元気いっぱいだったから「治らない病気も自然に治りそうやね」なんて話をしたこともあったくらい。


でも現実は厳しかった…


厳しすぎた。


時間さえも与えてもらえなかった。


神様なんかいないって思った。


今も神様なんかいないって思ってる。


やり場のない悔しさ。


それでも私は前を向いて進んでいかなくちゃいけない。


敦希のいないこの世を生きていかなきゃいけない。


敦希を亡くしてから、敦希を置き去りにしてしまうのが怖くて嫌で、全く前を向けなかった。


前なんて見たくもなかった。


今でもその思いはある。


けれど、いつだって敦希は私のそばで笑ってくれている


不思議と少しずつだけど、そう思えるようになった。


正確にはそう思いたいのかもしれない。


敦希の写真を見ていたら伝わってくる。


「かーちゃん、大好きだよ」って。


一生懸命笑ってくれた敦希の笑顔


きっと、きっと、敦希は私のそばで一緒に笑っていてくれるに違いない。


もちろん長男や旦那のそばでも。


敦希は私たち家族と一緒にいる


そう信じたい。





命日が過ぎたら、1年前の育児日記を振り返って見ることはできなくなる。


嫌でも時の流れを感じて、悲しくなる日々が待っているのかもしれない。


それでも私は前を向いて行くしかないんよね。


敦希と共に…


あっくん、ずっとずっとそばにいてね。


夢でもいいから、たまには会いたいな。


かーちゃんにパワーをちょうだい。