今だから言えること | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。


今さらな話ですが、今だから言えることを吐き出したいと思います。


あくまで私目線の話です。





私は敦希を亡くしてから考え方や価値観が大きく変わりました。今までは気付くことのできなかった本当に大切なこともたくさん知りました。
でもそれは敦希が病気をもって生まれ、亡くなってしまったからであって、そんな経験をしなければ私も一生分からなかったことだと思います。


でも本当はそんなこと分かりたくなかった…
敦希を亡くさずに済むのなら何も知らないまま穏やかに生きていたかった。


だからこそ私は簡単に「私も母親だからあなたの気持ち分かるよ」と言ってくる人は信じられません。
「簡単に分かったようなフリをして言ってくるなよ」と思います。
決して想像できるものではないし、子どもを亡くしてからもずっとずっと悲しみは続くんです。経験していない人に分かるはずがありません。


自分の子どもにちょっと病気のあるお母さんが、私が敦希のことで大変な日々を過ごしていたことに対して「私の子どもも大変やから、○○さん(私)の気持ちがよく分かるよ」と言ってくる人もいました。
確かに我が子に少しでも心配な要素があれば親なら誰だって不安を抱えるし心配です。それは分かります。
でも敦希は命に関わる病気でした。実際、急変して亡くなっています。
そんな私に対して簡単に「気持ち分かるよ」なんて言ってほしくなかったし「分かる訳ないやん」「あなたの子どもは生きてるやん、元気やん」と腹立たしく思いました。


病気があると大変なのは分かるけれど、敦希を亡くした私の気持ちに同調するかのように言われても、私にはモヤモヤしか残りませんでした。


「私も流産したから…私も子どもを亡くしたけど、乗り越えられたから大丈夫だよ」と言ってくる人もいました。
私は敦希を亡くしたことを一生乗り越えることはないのに、何で仲間のように言ってくるんだろう…
私も何度か流産の経験があるので流産の辛さは知っているつもりです。でも本当の悲しみを知っている人ならば何であれそんな簡単に「乗り越えられるよ」なんて言ってこないと思うんですよね。


また別の人は敦希を亡くして落ち込む私に対して「生きている子(長男)を見てやれと言ってやりたい」「そんなに悲しいなら最初から子どもを作らなくていい」「子どもが重い病気だったのに亡くなるかもしれない想像をしなかったのか」「結婚する人は夢しか見ていない」等、陰で言っていました。
これはもう見た瞬間から(とあるSNSで)友達をやめました。怒りをぶつけたかったけど、相手をするだけ無駄。
何で私はこんな人と浅いなりにも友達だったんだろう…自分が情けなくもなりました。


私は周りの人たちからいろんな言葉をかけられてきて、言葉にはすごく敏感になりました。
傷ついた言葉、配慮の足りない言葉、適当な表面上だけの言葉、救われた言葉、本当に様々な言葉を聞いてきました。


その時に人間の本心というか、その人の人間性が見えるようになってきて、無理をして付き合う必要のない人とは付き合わなくていいし、自分が必要だと思う人とだけ付き合えばいい…そう思うようになりました。


友達を選別した私を「変わってしまった」と思う人もいるかもしれないけれど、私なりに色々思うことがあっての判断です。


我が子を亡くすっていろいろなことが変わってしまうくらい、悲しくて辛くて苦しいこと。


「何で子どもを亡くした上に言葉に振り回されて傷つけられなきゃいけないんやろう…」


私はずっとそんなことを感じながら今まで過ごしてきました。


そんな中でもどう生きていくか…自分なりに信念をもって生きていけるようになりたいと思う今日この頃ですが、いつまでもネチネチ心の中でためておきたくない。そう思い、この3年間の思いを吐き出してみました。(まだまだ一部ですが…)


言葉でたくさん辛い思いをした分、私も気を付けなければ…とよく思います。
そして弱い私を温かく見守り、支えてくれた人たちに対して私は感謝し、大切にしなければ…とも感じています。


敦希が亡くなって2、3ヵ月しか経っていない頃に敦希の仏前に手を合わせに来てくれた友達が「今夜は飲み会やね~ん♪早く帰らなきゃ~♪」とルンルンで帰って行ったことがありました。
「何でいちいち声に出すねん」「所詮は他人事だよね」と思いました。
こんな些細なことでもカチンとくるくらい、当時の私は言葉のひとつひとつに敏感でした。





このような愚痴はなかなか周りの人には話しにくいものです。気を遣わせてしまうから…


いろんな人がいるけれど、私は人の痛みに気付ける人間になりたい。そう思います。