長男の話です。
4月に小学校に入学した時に心臓検査があったのですが、家族歴から二次検診が必要と判断されました。
検査をした校医から、二次検診は敦希の主治医のもとで受けるよう言われたのですが、敦希が亡くなった岡山の病院まで行く気にはなれず…
敦希が最初に入院し、予防接種にも通っていた隣市にある総合病院に行くことにしました。敦希の主治医だった先生指名で。
約4年ぶりの先生。先生は長男のことを「お兄ちゃん」と呼んでくれました。敦希が亡くなってから長男がお兄ちゃん扱いされることはなかったので、先生の気遣いがとても嬉しく感じました。
そういえば…敦希が亡くなった後、敦希の急変に納得できていなかった私はこの病院の主治医に相談に行きました。その時は普通に診察時間に予約をとって行ったのですが、「○○敦希くん、どうぞ」と呼んでくれて、『あぁ敦希の名前を呼ばれるのもこれが最後なんだろうな…』としんみりしたのと嬉しかったのを思い出しました。
「岡山の主治医の先生の記憶が薄れないうちに話を聞きに行った方が良い」と私の背中を押してくれたのもこの先生でした。「露骨に嫌がる医者はいない。これも医者の義務だから、きちんと丁寧に対応してくれるから大丈夫だよ」と話してくれました。
そしてNICU、GCUと新生児の時にお世話になった記憶もよみがえり、久しぶりに先生の顔を見たらちょっとウルウルもきました。
話は戻りますが…
長男は心エコー、心電図、レントゲン、3つの検査をしてもらい、結果は異常なしでした。2歳の時に受けた検査も異常はなかったのですが、病気が病気なだけにずっと気にかけてはいたので、ひとまず一安心。
長男の心臓の動きを初めて見たのですが、敦希のは見慣れていたけど、やっぱり動きが全く異なりました。
敦希は収縮が弱々しかったし逆流もあったけれど、長男の心臓の動きは滑らかで力強くて、素人目から見ても元気いっぱいの心臓でした。
同じ兄弟で何が違ってしまったのかな…。
改めて心筋緻密化障害の怖さを思い知った気がしました。
心臓の二次検診ということで、長男が不安に感じてしまうかな?と少し心配だったのですが、全ての検査を一人で検査室に入って受けて、名前もしっかり言うことができていました。
たくましくなったなぁ。。
当時、敦希の外来で、採血に付き添っていた2歳だった長男はよく「あっくん、がんばれー!がんばれー!」と応援してくれていましたが、今回は敦希がお兄ちゃんのそばで応援してくれていたかな。
そんな風に思いました。
約4年前。岡山の病院のカフェにて。