今の気持ち | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。



子どもを2人亡くしても、私は普通に生きている


色々あったはあったけど、今はごくごく普通に暮らしてる


知らない人から見たら、私たち家族は幸せそうな3人家族に見えると思う


それでいいのかもしれない


でも、時々そんな自分が薄情だなって思ったり、嫌になる時が沢山ある


明るく生きていても嫌になることがあるし、暗く生きていても「これじゃ駄目だ」って思う


卑屈な心でいっぱいになって、何もかもが嫌になる時もある


でも、そこまでひどいのは、少しずつ減ってきた。







明るく振る舞うことが、いつの間にか身に付いた


自然にできる時もあれば、無理をしてるなって自覚する時もある


自分が分からなくなった時、「本当の自分」を考えるけど、自分でもよく分からない


これは子どもを亡くしたからとかではなく、誰にでもあることだろうとも思う


どう生きていくのが正解なのか?


きっと一生分からないだろうし、正解なんてないことも分かってる


こうやって考えて、悩んで、沈んで、また這い上がって…


浮き沈みしながら踏ん張って生きていくしかないことも頭では分かっているつもり


悔しいけど。







もうすぐ三男の3歳の誕生日


3年前の今頃は、まさかまた同じ病気だなんて想像もしなかった


次男の敦希が病気で亡くなったから、妊娠や出産、成長がどれほどの奇跡かを分かっていたつもりだったけど、当時の私は少しの不安はあっても、三男が健康に誕生することを信じて疑わなかった


人生うまくいかないことばかり


それでも必死に生きてきた…のだと思う


亡くなった子どもたちも、
長男も、
私に対しても、


可哀想だなんて思われたくない
憐れな目で見られたくない


とにかく必死に、意地でも、
外では明るく生きてきた
たぶん


でも、時には、


「大切な子どもを亡くしても、明るく生きなきゃいけない私の気持ちなんて絶対他人には分からない」


疲れてしまった時に思うこの言葉は私の本音


悔しくて悔しくて、虚しくなる


でも、子どもたちを亡くした時のことを思えば、他のことなんて大したことない


と思いながらも、やっぱり私も人間


よくよく考えたらどうでもいいことでも、「嫌やなー」とか「疲れたー」とか、ついつい口に出してしまう


いたって普通の日常


違うのは、敦希と三男がもうこの世にはいないこと


まるで2人が存在しなかったかのように言われてしまうことも増えた


でも、それも正直慣れた


ムッとはするけど流せるようにもなった


他人にどう言われても、思われても関係ない


敦希を亡くした当時は、敦希のことを忘れられてしまうことが怖くて仕方がなかったけど、今は気にしない


昔の私の口癖は「所詮は他人事」


今はどうでもいい
他人なんだから、他人事で当たり前


私と夫と長男さえ共通する想いがあれば、それでいい


私も強くなったなーと思う。







もうすぐ3年


怒涛の出産を思い出す


あの時の前しか見なかった強い気持ちが懐かしいなぁ。









敦希も、三男も、


もっともっと成長が見たかったな


健康な体って、本当に奇跡。