親父から電話があって、明日は外泊許可が出たから、お袋が帰宅するらしい。

一ヶ月ぶりの再会で嬉しい。何かマザコンかな?俺。


今日は友人とその奥さんと新橋の串焼きやで少し飲んで、吉祥寺で2時間半ほどカラオケした。

何か、涙もろくなっている。先週『涙そうそう』観たせいかしら。


明日、午後に両親に会えると思うとまた、涙が。。。。

お袋には感謝の言葉しか思い浮かばない。


昨日、親父が言ってくれた。

父「担当医に聞いたんだよ。『因みに、こんなになるまでどれ位掛かっているのか?』と。で、医者は『10年位でジワリジワリ来たんじゃないか』と言ってたよ。」

M「そうっか。」


親父は泣いてたね。あの、気丈な親父が涙ながらに電話していたのを聴いて、言った。

M「お父さんは大丈夫?」

父「お父さんは大丈夫だよ。」


親父は人生の厳しさ、仕事の大変さ、やりがいを伝えてくれた。その一方で心優しいお袋は優しさを教えてくれた。

お袋は今では存在しない、古き良き時代の女性だ。九州男児よろしくの親父について来て、36年くらいかな。


親父は3月に定年退職となり、色々なことを考えていた。それは勤続中に家を支えてくれた妻であり、兄と僕の母であるお袋に対する感謝の気持ちとして。年1回は海外旅行行くんだよ。2週間前にイタリア旅行から帰国したばかりだった。


来年はカナダ、その翌年は飛鳥で世界一周豪華客船の旅だと意気込んでいた矢先の「がん告知」に親父も動転していたことだtろう。


でも、Murphyも責任を感じないではいない。自分自身苦労した大学受験から会計士試験受験の間で何度なく投げ出したくなる気持ちを持ちながら、支えてくれ、誰よりも心から応援してくれたお袋には迷惑を掛けてしまったと思っている。アメリカに単身赴任していた親父が居らず、一人暮らしをした兄貴が居たせいで、実家でお袋と10年以上2人っきりで過ごした気がする。今に思えば、非常に心地よく至福の数年間だった。


親父がアメリカから帰国して、30過ぎで実家にいるのも変だと実家を出て、一人暮らしをしたものの実家に帰宅すると、お袋の料理、洗濯してくれる洋服、帰りに持たせてくれる料理をもらうと、その心地良さは筆舌に尽くしがたいものだった。


リリーフランキーの東京タワーではないが、お袋をこれから限られた時間の中で心行くまで応援したい。きっと、まだまだこれから良いことあると思うし、孫(甥っ子)がせめておばあちゃんの記憶が残るまでは生き続けてもらいたい。お袋がどんなにMurphyの家を36年間に渡って支え続けたか、伝えたいから。


そして、僕はお袋が生きている間に自分を今後支えてくれる伴侶を紹介して、安心してもらいたい。Murphyが大丈夫であり、親父もこのお嫁さんなら仲良くできると思ってもらえる人を見つけたい。


タイムマシーンがあるなら、10年前に戻ってお袋の膵臓がんを処置してもらいたい。


ねえ、神様、居るなら教えて欲しい。これだけ、健康に気を遣い、みんなにも感謝され尊敬されるお袋(S子)がなぜ若くしてガンにならないといけないの。何とか助ける方法はないの?


朝起きると、親父の電話は夢だったんではないかと思うんだよね。

少なくとも亡くなる前にフィアンセを連れて実家へ帰りたい。お袋には安心してもらいたいから。