さんてんいちいち | *My world*

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日常のことをマイペースに伝えていきます

五年前の
震災時は、小学校5年生で
教室で百ます計算をしてた。
問題が解き終わって、
先生が「じゃあ、赤ペンだして~」って指示して
赤ペンだそうとした時に、揺れ始めた。

最初は、地震なんてワード頭に出てこなかった。
それは、きっと避難訓練した時
人事のように、おさわり程度にやってたからだと思う。

もうその時は、世界が終わる?それとも日本が沈むの?なんて考えてた、そりゃあガキだからね( ̄▽ ̄;)
理科の授業で育てた、金魚が入ってる水槽がバシャバシャと音を立てて、こぼれた水がランドセルへ…でもそんなこと気にしてられなかった。
重たい昔のテレビを抑える生徒もいた。
急いで机の中に潜った、だけど恐怖のあまり涙が止まらない。
自分の心配より
当時生まれたばっかりだった、弟が心配だった。
お母さんと家にいるはずだけど大丈夫かな?
気が気じゃなかった、
先生が「外へ避難よ」
みんなで急いで走って外へ向かった。
途中途中、壁にヒビが入ってたり崩れてたりするところが見て取れた。
昇降口まで来ると他の学年と合流
泣いてる生徒は本当にわずかだった。

外へ避難したら、雪が降ってきた。
まわりザワザワ落ち着かなくって、
余震が続く度に、震える生徒もいた。
1時間くらい待機した後
迎えくる保護者に付き添われて帰宅する生徒や、
私みたいにスクールバスで登下校している生徒はそのままバスで下校。

下校中はスムーズにバスは動いてはくれなかった、結構渋滞していた。
そりゃそうだろう、電気は止まってて信号機は作動していないし。
どこから来たのか
首輪を繋いだままの犬がちょろちょろしてた。
それを、バスの運転手さんは
拾ってきてバスに乗せてた
なにしてるの、運転手さん…みんなそう思ってたと思う。

バス停で降りて家にダッシュで帰った、
とりあえず弟が心配でならなかった。
家に入ると、至って落ち着いてるおばあちゃん、
崩れたものを直していた。
「おかえり」
「え!赤ちゃんは?どこ?」
「お母さんと車に避難しているよ」
返事するまもなく私は急いで車に向かう

あ、いた。無事だった。

お母さんはラジオでニュースを聞いてるぽかった。

辛いのはここからだった、
お父さんも帰ってきて
だんだん暗くなってきたけど
停電してるし断水してるし

当時オール電化の家ではないし、
トイレは水洗トイレではなかったから
そこまで困らなかったけど、
オフロ入れないし、よるはガスコンロでポットに入ってたお湯を温めてラーメン。

そして、ロウソクでラジオをもってきて
一晩過ごした。
ストーブは電気使わない灯油ストーブだっから
そのぶんすごくあたっかくて
安心できた。
それから、数日がして、
テレビが見れるようになってから
津波の被害を知った。

そしてあたしの地域は、震度六弱だったことがわかった。
それから、いままで余震はつづいてる。