陽気なギャングの日常と襲撃
伊坂 幸太郎 祥伝社 ¥690 (文庫: 2009/08/30)

嘘を見抜く名人は刃物男騒動に、演説の達人は幻の女探し、精確な体内時計を持つ女は謎の招待券の真意を追う。そして天才スリは殴打される中年男に遭遇――天才強盗四人組が巻き込まれた四つの奇妙な事件。しかも、華麗な銀行襲撃の裏に「社長令嬢誘拐」がなぜか連鎖する。 知的で小粋で贅沢な「陽気なギャングが地球を回す」の続篇となる軽快サスペンス!

も―ほう【模倣】
まねること。にせること。
「――をオマージュではなく、単なる物真似と勘違いしているのがいるだろ? そういうタイプって、自分自身が親や過去の叡智による――に過ぎないということを全く意識していないんだろうな」


みなさん、ご静粛に。
たった5分間の余興ともいうべき演説ですので、どうか私の話を冷静にお聞きになっていて下さい。その短い時間を平穏かつ有意義に経過させるのか、反抗するように乱暴な行動にでてしまうのか、その判断は各自における自由な意志ともいえますが、どちらがより平和的で得策であるかは、賢明なみなさまならば誰もがご承知であると考えます。

よろしいですね。では、少々お話をさせていただきます。
『常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう』と、かのアインシュタインは云いました。世間一般における常識とは、思い込みなどの知見が広く浸透し、それが相互理解の助けとなる共通概念として認められる社会通念といえるでしょう。それは時の変遷と共に次第に変貌を遂げていき、新たなる解釈として移り変わっていくものでもあります。
強盗が居丈高に演説をするなど、非常識極まりない言語道断な行為だとお思いでしょう。しかし、それもいずれ常識となる、とは甚だ言い過ぎではありますが、饒舌に演説を奮う強盗の存在が広く一般に認知されるであろうという予測的観測においては、それは常識という言葉を使用しても何ら語弊が生じない、と将来的に考えられる可能性は少なからずあり得るのです。
そして、私の長広舌に耳を傾け、貴重な体験を経たみなさまは、以前とは異なる新たなる常識という価値観を共に獲得している、ともいえるのかもしれません。まぁ、ちょっと大袈裟過ぎますが。


さて、今日は動物のことをお話しましょう。
みなさんは、最強の陸上生物は何だとお考えになるでしょうか? 百獣の王と呼ばれるライオンや、強力な長い口吻を持つワニ、圧倒的な巨体を誇るゾウなどが真っ先に思い浮かぶはずです。しかし、それは単に常識的な通説であり、あくまで常識的な範疇に含まれる想像の産物に過ぎません。
地上最強の生物は、動物好きを公言する芸人たちによる常識では、なんとヒポポタマスであるというのです。小さいころ文字を逆に入れ替えて罵った、あのメタボリックな肥満体型で間抜け面の動物です。その愛くるしくもある惚けた容姿に騙されてしまいがちですが、その攻撃力と防御力、機動性を決して侮ってはいけないそうなのです。

この俗説に対し、劉備が前漢・中山靖王劉勝の末裔と称したのと同様の胡散臭さを覚えるのは早計です。よく考えてみて下さい。社長の息子で、性根が腐った奴よりは信用できるでしょう? 選挙時のみ笑顔で国民と握手する、悪徳政治家の虚言よりは真実味を感じるでしょう? 自称20歳のホームレスギャル漫画家の言動よりは充分に納得できるでしょう?
何より、彼らの動物を愛好する気持ちは、素人の域を越えるほど情熱に溢れています。仮に懐疑的にその信憑性を置くとしても、従来の常識を疑う眼を持つことこそが、むしろ重要な意識に他ならないのです。

動物は常識が育まれる遥か以前から、地球と共に暮らし続けています。その豊かな自然環境を、文明の発展により穢しているのは、傲慢で強欲な人間です。
いずれ地球そのものが生命の循環を拒否するのではないか、という危惧さえ抱きかねない危険な状況で、はたして人間は『ロマンはどこだ』と地球に対し問い掛けられるのでしょうか。深刻な事態ともいえる、そんな苦境に際し、人は何を為すべきでしょうか。
個人が出来ることなど、たかが知れています。しかし、個の力が集積されると、大きな力が生み出されます。私たちはその原動力となりたいのです。つまり、道義に基づいた使命ともいうべき義賊のような姿勢が、陽気に地球を回すために必要とされるのではないか。その一端が、道理と詭弁を織り交ぜ能弁に語る、常識に縛られない私の演説だ、というわけです。


不埒な強盗風情が何をいう、とお考えになる方も当然多いでしょう。ですが、この演説は無益でしょうか?
私は無益だと見做される、娯楽のような存在の中にこそ、有益への近道が潜んでいるという可能性を否定できないのです。一歩引いて、物事を異なる視点で捉えてみた方が楽しくはないでしょうか?
そこで、その可能性の原石ともいえる、非常識で痛快で良質な本が存在しますのでご紹介しておきます。「陽気なギャングの日常と襲撃」という、ミステリ小説であり娯楽の物語としても完成された見事な小説です。
破天荒に躍動する個性豊かなキャラクタたち、愉快かつ軽妙な台詞、気の効いた伏線と連鎖する謎の数々、これぞ痛快な娯楽作品と自信を持って呼べる逸品でしょう。もし仮に、陽気に演説する強盗に日常を襲撃された嫌な記憶が残ってしまう恐れがあるならば、この小説を読んで愉快な気分になって軽く吹き飛ばせば良いのです。日々の苦情に悩むことも、酒色に溺れることも、過去に遺恨を残すことも、ギャンブルに嵌ることもなく、日常の些細な懸念がすべて爽快に解決されることでしょう。

4分が経過しました。みなさまは事前の約束通り、大人しく静観していて下さいました。
『わたしの言う通りにやれ。わたしのやる通りにではなく』という諺を残した偉人がおります。その言のように冷静に判断して下さいましたことを、心より感謝致します。
傍迷惑かつ恣意的な勧善懲悪行為として、強盗が短時間の中で従来の常識を覆す主張であり、荒唐無稽にも正義を翳す論理など、道化以外の何物でも無いのかもしれません。ですが、今後も陽気に地球を回すためには不可欠ともいえる、微才ながらの演説です。そして、私たちの行動は慈善的に人と地球を救おうと尽力するための、襲撃的な強盗なのです。ご不満等がありましても、何卒そこは軽妙なユーモアで流して頂きたいと、温かくご配慮願いたいところです。

さて、貴重な時間をお付き合いいただき、誠にありがとうございました。もし、この数奇な体験を一生の思い出としたいのならば、ぜひともこの後のお食事でパエリアを食してみて下さい。そして、知的なマスタがいる、おいしいコーヒーを淹れてくれる店で「陽気なギャングの日常と襲撃」を読まれることを強くお薦め致します。
5分となりました。ご清聴ありがとうございました。


『僕たちの敵はいつもそういう奴なんだ、きっと』


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