ひなのころ
粕谷 知世 中央公論新社 ¥680 (文庫: 2008/02)

お雛様やお人形とも話せた幼い日々。病弱な弟を抱える家族の中で、ひとり孤独を感じていた頃、将来が見えず惑い苛立った思春期。少女・風美にめぐる季節を切り取り、誰もが心のなかに大事に持っている“あのころ”の物語を描き出す。 期待の新鋭、初の文庫化。

 「雛の夜…………風美 4歳の春」
4歳の風美(ふみ)は、いつも祖母と一緒にいる女の子だった。
父母は忙しい仕事や病弱の弟の世話のため、家にいることが極端に少なかった。だから、風美はひとりでいる時間が多く、その淋しさを遊びで紛らわしていた。
ジグソーパズルを完成させると、お姫様たちが彼女に微笑みかけてくれた。家の中の置き物たちは、身勝手な我が儘を彼女に語りかけてきた。見知らぬ三つ編みの若い女性が突然現れ、何気ない会話を交わしたりもした。
春は雛祭りの季節だった。
風美は気難しい祖母から迷信や怖い話をたくさん耳にし、幽霊が出ると聞かされてきた夜が大の苦手だった。風美は一人ではトイレにもいけないほど、気弱で臆病な女の子だった。
でも、雛祭りの夜は違った。
夜陰の恐怖を克服しようと健気にも決意したからなのか、とても不思議で幻想的な光景に遭遇した。それは決して忘れることができない、風美にとって大切な思い出であり秘密となった――。

時は四季と共に、悠然と流れるように移ろう。風美という少女は、春夏秋冬の自然豊かな季節の変化を経て、少しずつ成長していく。
風美は4歳の少女の頃、いつも祖母のそばで遊んでいた。祖母は彼女を叱りながらも、常に身近で見守っていてくれた。
11歳の夜祭りでは、哀しい運命が待ち受けていた。田舎の学校では珍しい新しい友人がせっかく出来たのに、幼い少女には後悔という苦い記憶が刻まれた。
15歳の思春期の多感な時期、彼女は勉強や進路に思い悩み、親に対する反抗心が徐々に芽生えていった。しかし、その葛藤は自身に対する苛立ちが反意的に表面化しているだけに過ぎず、反省しなければならないことも多かった。
17歳の大晦日には、祖母が周囲を巻き込む騒動を起こしてしまった。でも、その不意な出来事は、改めて家族との繋がりを再確認する契機となった。


本書では誰の記憶にも残る、”あのころ”の思い出が清涼に切り取られている。
風美という情緒豊かな少女が過ごす、4歳の春・11歳の夏・15歳の秋・17歳の冬の長閑な田舎の風景。少女の現実と幻想が織り成す、春夏秋冬の季節と出来事が綴られた心温まる物語。その懐かしさを抱かせる幼い頃の情景が、著者の繊細な感性により優美に描かれている。

この物語は、家族や友人・周囲の人たちと接する世界が徐々に拡がっていく風美の成長譚(連作短篇)でもあり、その成長する過程で彼女が煩悶と共に衝突する、揺れる心や淡い戸惑いも表現されている。しかし、風美は自身の感情と照らし合わせるように、他者の心情を次第に読み取れるようになっていく。それは少女がひなから巣立ちの時期を迎えた、確かな証でもあった。

本書を読み、あのころの懐かしい情景に浸り、あのころの後悔を忘れずに、あのころの至らない自分を見つめ直し、あのころに感じていた粗野に映った肉親の愛情表現を理解する……それが風美の成長と共に心を通わせ、物語に感銘するということなのだろう。
ひなのように何も知らなかった、好奇心旺盛な幼い子どものころに体験した出来事は、幻想的に秘密めいていて、誰もが心の奥底に今も鮮明に記憶として偲ばせていると思われる。その懐かしい想い出をいつまでも忘れずに、感謝するように心の中にそっと宿しておきたい……でも、もしそんな大切な気持ちをどこかに置き忘れていたら、本書がいつでも”あのころ”のことをきっと思い出させてくれるに違いない。


『だって本当のことだもん。おばあちゃんが教えてくれたんだもん』