骸の爪
道尾 秀介 幻冬舎 ¥760 (文庫: 2009/09)

ホラー作家の道尾は、取材のために仏像の工房・瑞祥房を訪れる。その夜、彼は口を開けて笑う千手観音と闇の中で血を流す仏像を目にする。その翌日には、仏師の一人が姿を消していた。道尾は霊現象探求家の友人・真備とその助手・凛との3人で瑞祥房を再訪し、その謎を探る。工房の誰もが口を閉ざす、20年前の事件とは?

仏像を塑像・彫像する工房・瑞祥房に渦巻く因縁の闇。
道尾が取材で訪れた夜に、彼は奇怪な現象を目の当たりにする――真備と共に再訪した後も、工房の仏師が忽然と失踪し、謎は深まるばかりの事態となる。
仏に帰依する者たちは、工房の過去に潜む苦い記憶を曖昧な口調で覆うように濁し、みな関わるべきではないと口を強く噤(つぐ)む……。


「骸の爪」は、道尾氏が得意とする領域が凝縮されたような本格ミステリといえる。
導入の不可解なホラー的要素で謎を提起し、仏像関連の知識を絡めた伏線を多数散りばめ、曖昧な騙りで真実に対する渇望を与える。そして、人の愚かしい罪深さが育む悲劇の真相を、真備が理により詳らかに糾明する。
物語の大枠のプロットはデビュー作「背の眼」(真備シリーズ)と酷似している。だが、その内容は前作の不用意な乱雑さが軽減されており、より簡約に洗練された印象が窺える。

仏像の工房・瑞祥房で起こる事件は、仏師が行方不明となるだけで実際に犯行が起きたのかさえ不定のまま、詳細な状況が見えずに不測に展開する。そこが、事件性を殊更に主張する通常のミステリとは趣向が異なり、不明瞭な霊現象にも通じる暈けた印象が終始物語から漂わされている。
だが、現実の裏では確かに何らかの異常事態が生じている気配が濃厚であり、その得体のしれない不気味さは、まるで暗闇の中を手探りで進むような先の見えない盲目で彷徨う状態であるかのように感じられる。

本格志向の真備シリーズは、霊現象探究家である真備が探偵役となる。
彼は過去の人生経験から、理屈では測れない霊の存在を信じたいと強く希求し、探偵の仕事を生業としている。故に、このシリーズは未解明の心霊現象と根深い関連性があり、その類似性が強い土着の信仰ともいうべき民俗学的な要素が物語に多分に組み込まれる特徴がある。

本作も確かに古い仕来りに代表される時代性や、環境に依存された特殊な影響というものが背景として潜み、人の妬み驕りという悪意や愚かさから生じる悲劇が事件の発端となっている。
しかし、全体の雰囲気として代替されているからなのか、シリーズ第2弾にして既に、物語の原初の心情ともいうべき真備の霊現象に対する探究の姿勢が本作では弱く感じられてしまう。それは血を流す仏像――不可解な霊現象――を解明する作業として少なからず推理・検証されるのだが、その提示に至る物語としての組み込み度合いが低く、シリーズの根幹を為す象徴が不徹底に偶像化されてしまっているようにも感じられた。

前作「背の眼」は、主題となる霊現象の解明が行動の主眼として素直に探究されていた。それは、ホラー寄りの物語性が強く表現されたことを意味していた。対して、本作「骸の爪」は、密かに進展する事件性が強いと思しき失踪に絡む、過去の因縁を徐々に解明していくことが焦点となる。それは即ち、霊現象よりもミステリ寄りの物語性が意識的に表現されたことを示唆している。
両作共に道尾作品の特徴ともいえる、周囲に知られたくない醜聞を頼りとする探索が物語の中軸として用いられ、事件の背景には人の業ともいうべき悲壮で暗澹たる過去の禍根が待ち構えている。その因果に対する応報が人の心を抉る事件として生じ、苦難に虐げられ続けた堪え難い苦節が痛切に描写される。


犯人は罪深い悪意により、信念であり信仰が無常にも穢された。
長年に渡り土中に篭もるように伏せられてきた真実が露に照らされたとき、犯人は爪を掻き立てるほどの激しい恨みや憎しみが衝動的に湧き起こる。そして、足掻くことなく苛烈な悪意に盲目に染まり、闇に従わざるを得なくなる……。
憎悪に駆られ邪念の傀儡となった咎人は、精神性が歪められ分別を無くす。やがて、過ちとして凶行が闇に踊り、憤怒の情念が呪いとして示現するように……奇異な霊現象と見紛うばかりの事態が招かれていた――。
仏は笑い、血を流し、殺し、消え、生きていて、宿り、最後には……人を殺すか?
造形された阿修羅像の形相が慈悲から憤怒に豹変するように、その遣る瀬無い悲痛な想いの末の不義は、宿業による運命の悲劇ともいえた。
人心の移ろいは脆く善悪に揺れ、千手の救いから零れ漏れるように、仏は許されざる偽らざる心情に身を焦がされていた――。


『でも、きっと人の心なんて、軽々しく論じることはできないんだろうね』