墓地を見おろす家
小池 真理子 角川書店 ¥580 (文庫: 1993/12)

新築・格安、都心に位置するという抜群の条件の瀟洒なマンションに移り住んだ哲平一家。問題は何一つないはずだった。ただ一つ、そこが広大な墓地に囲まれていたことを除けば――。やがて、次々と不吉な出来事に襲われ始めた一家がついに迎えた、最悪の事態とは……。 復刊が長く待ち望まれた、衝撃と戦慄の名作モダン・ホラー。

小さな子どもを持つ夫婦が、新居としてマンション購入を決意した。
都心への通勤も便利な、閑静な土地にある破格ともいうべき新築マンション。それは普通の家族が手に入れた、温かな幸福が訪れた瞬間であるはずだった。
だが、唯一の難点は、階下を見おろした風景が寺と墓地に囲まれている立地条件だった。死者が埋葬された静寂な墓地に敏感にも臆すると、周囲の全景に萎縮するように嫌な心地が感じられ、日々陰鬱な気分にさせられる……。
そんな薄気味悪さを他の世帯も察知し、やがて、マンションの住人たちが次々と退去していく。そして、遂には――。
訳有りの夫婦が選択した訳有りの物件。それは自らが招いた悲劇とさえ、俯瞰できるのかもしれなかった……。


現在では恋愛小説を代表する作家として知られる、高名な著者の作品を期待を込めて読んだ。だが、話は単に一家の恐怖体験が漠然と示されるだけで、正直なところ残念な印象が強く感じられてしまった……。
この小説が執筆されたのは1988年刊・1993年文庫初版ということで、著者が初期の作風から恋愛小説へと移行する時期・時代的要因が本作には多分に反映されていたのだと思われる。ホラー小説として考慮しても、その一昔前の時代性は確かに強く感じられ、当時は得体の知れない恐怖が迫り来る海外作品に先駆された描写が、モダン・ホラーとして充分に通用していたのかもしれない。
しかし、現在の視点で見ると、本書の物語は平凡に映ってしまう。あくまで現代風の恐怖として古典的な怪談が焼き直して表現されたような印象を抱く展開であり、すべての素材が半端な状態で置かれたまま物語は収束してしまう。

恐怖や謎に対する含みを持たせた疑惑は有機的に怪異に連動するのではなく、霊が実体を伴わないように曖昧な状態のまま不穏に繋がらず、不可解な現象もただ恐怖を増幅させるためだけに演出されているに過ぎない。そこには説明の有無や解釈を考慮する余地は与えられず、不気味に放置されている印象しか読者には残らない。
ただ理解不能な恐怖という、正体不明の悍ましさが次々と一家に襲い掛かる。その恐怖は過去に流行したホラー形式だったのかもしれないが、現在では軽易とさえ感じられるほどに物語としての魅力が感じられない。
つまり、本書の関心はジワジワと心に染み渡る理不尽な恐怖のみに集約される。その恐怖に苛まれる夫婦と共に感情移入できるか否か――それだけの小説であり内容ともいえてしまう。ゆえに、仮に凝縮された短篇ならばまだ許容できただろうが、長篇ホラーとしては単に冗長なだけに感じられた、というのが残念ながら本音といえる。

著者の意図としては、現世の住人が墓地を見おろすマンションに住み、死者の住人がマンションを見あげる墓地に棲む、その永劫の不可避な対比が輪廻する循環として表現されていたと推察する。また、夫婦の関係性や都市の形成なども、テーマとして主張されていたことは充分に認められるのかもしれない。
だが、暗に意図されたと思われる解釈を補足するように咀嚼することは可能だが、作品内での示唆の表現などから考慮しても、本作においては深みのある相応の見解が育まれるとは思えなかった。


人は誰しもが必ず死ぬ運命が定められており、その連鎖からは決して逃れられない。そして、生者は死の状態を認識することも適わず、ただ敬虔に霊に対し配慮するしか術はない……。
人は幾ら高度な文明を育んだとしても、不可知な霊現象を解明することは困難なのかもしれない。もしや、本書に対する否定的な見解も、霊と呼ばれる魂を理解できない不安感が育んだ病んだ心に過ぎないのだろうか?

窓から景色を見おろすと、静謐な墓地が階下に窺える。
不信感ばかりが募る周囲の淀んだ気配から少しでも陰鬱な気分を紛らわせるために、もう少し著者の他作品を読んでみることにしようか……。やはり著名な「」を読むべきだろうか、いや、それよりもこのマンションから生きて……。


『恐怖を誘うものは自分の病んだ心の中にこそある。現在への不満、弱まった生命力、歪んだ神経……』