フィッシュストーリー
伊坂 幸太郎 新潮社 ¥540 (文庫: 2009/11/28)

最後のレコーディングに臨んだ、売れないロックバンド。「いい曲なんだよ。届けよ、誰かに」テープに記録された言葉は、未来に届いて世界を救う。時空をまたいでリンクした出来事が、胸のすくエンディングへと一閃に向かう瞠目の表題作ほか、伊坂ワールドの人気者・黒澤が大活躍の「サクリファイス」「ポテチ」など爽快感溢れる作品集。

  読書中
「あれ? 魚の話じゃなかったのかよ」
寝転がって小説を読んでいた彼の独白が、私の耳に偶然届いてきた。「ひょっとして、タイトル名から単純な想像を膨らませてたの?」短絡的な彼の思考をからかう様に、私はその言葉に咄嗟に反応した。
「え? うん、そうだなぁ。たとえば、水族館で犯人からメールが送られてきて殺人事件が起こったり、意外な内容なら探偵役のさかなクンがギョギョギョ! って事件に巻き込まれてさ、この凶器の魚はですねぇ~♪ とか力説すんのかな、なんて読む前は想像してた」彼は真剣な顔でそう言った。
私は、なんていい加減な妄想なんだろうと、思わず苦笑した。
でも、誰でも本のタイトルしか知らなかったら、それくらいの妄想は少なからずしているに違いない。それに、読み終わった本の感想が人により異なるように、もっと大袈裟な話や眉唾物の話を身勝手に想像する読者なんて世の中には相当数いるはずだ。
「あのさ、その本読んだら、感想聞かせてよね」
「うん、分かった。でも何なら、書評にして読ませてあげようか?」なんて、彼は意味深な言葉を告げ、「あの野球漫画の名作より感動するかなぁ?」と呟きながら、再び本の世界に没頭していった。

  数ヶ月前
店員の視線が何かと厳しい書店で、雑誌の立ち読みをしていたときのことだった。
常に周囲の異変を窺う癖が身に付いているからだろうか、見知らぬ男たちが書店で交わす、愚痴ともとれる不毛な言葉の応酬に自然と意識が向けられた。
「お前、伊坂幸太郎って作家、結構有名だけど知ってるよな? もうすぐ『フィッシュストーリー』って映画が公開されるんだけどさ、驚くことにその本は単行本しか刊行されてない段階で、もう映画化されるんだぜ」
「マジで? それって、ちょー信じられねぇ悪行じゃん」
「だろ。俺らは地球に優しいエコな文庫派じゃん? そんな顧客を差し置いて、資源の無駄遣いともいえる単行本を読むコアな読者様を主要な客として映画業界は見ているわけだ。何か俺ら、思いっきり舐められてるような気がしないか?」
「そりゃ、誰だって感じるだろ。ってか、おいおい、文庫落ちって基本3年っていう暗黙のルールがあるじゃねーかよ。映像落ちは業界ルール無視か?」
「そういえば、他のミステリでもTVドラマ化で同じようなことしてた気がするし、なんか納得がいかねぇ気分だよな。っつーか、だんだんムカツイてきた。なら、今度の映画はぜってー見にいってやらねぇぞ! 誰か釈明会見しろっつーんだ、コラ!」
「映画は『アヒルと鴨のコインロッカー』のチームだから期待は出来るんだろうけどさぁ、お前の唐突なキレ具合はちょっと怖ぇ~って。でも、ぎろっぽんでちゃんねぇとしーめーするような映画・TV業界人も異常に腹黒そうで怖ぇ~し、つーか、自由過ぎる読者無視のソッコーの映像化って、何かオレオレ詐欺的な不正にしか思えねぇな。それとも、ただ単に出版業界が舐められてるだけなのか?」
「あ? 小説なんかすぐ簡単に映像化できますよ、ってことか? 本っていう媒体は歴史だけはあるから、出版業界っていかにも古臭い体質っぽいしなぁ。どこかの国の政治みたいに、構造的な欠陥だらけなのかもしれないしな」
「それに、単行本刊行と同時に図書館に本が並ぶってのも異常だろ? 皆様、本を買わずにご自由にお読み下さいって、見事に自らの首を絞めてるパターンだぜ。ほんと、出版不況とか言われてる根本の意味が俺には理解できねぇよ」
そんな具合に、書店の伊坂幸太郎コーナの前で、派手な格好をした男たちが騒々しくも熱く議論していた。俺は好奇心に駆られ、彼らの会話につい口を挿んでしまっていた。
「いや、その不合理な行為自体が恐らくミステリなんだよ。何なら、お前らが変革してみたらどうだ? 古い常識に浸りきった人間は何も気付いていないのだろうし、たとえ弱い声でも合理があれば、いずれ正しさは認められるだろうからな」
すると、彼らは驚いた表情をこちらに向け、納得するように頷いてこう言った。
「あんた突然話しかけてきて、泥棒みたいな怪しさだけどさ、常識的で良い事言うじゃん。それが反骨のロック精神ってもんだよな。何か、俺らの嘆きが誰かに届いてくれた気分で、ちょー嬉しいよ」
そして、彼らはサンキューと言い、ギターを背負ってその場から立ち去っていった。

  読了後
「キレイな顔、してるだろ。嘘みたいだろ。死んでるんだぜ、それで」
何かと影響されやすい彼は、奮発した豪勢な魚の活造りにそんな弔いの言葉を掛け、時おりご愁傷さまですと祈るような仕草をしながら、箸で刺身を摘まんでいた。
「で、どうだった? その本の内容は」と、私は彼に約束しておいた感想を訊ねてみた。
「うん、すっごく良かった。後半になるほど印象に残る、4編の中短篇集だね」
「ぜんぜん、魚の話じゃなかったよね」と、苦笑いしながら声を掛けると、彼も微笑みながら頷いた。
「確かにギョギョギョ! って具合に予想は外れたし、伊坂さんが得意とする連作短篇の形式ではなかったけどさ、でも、各篇が孤立していながらも、やっぱり伊坂作品だよなって思える雰囲気が強い小説だったかな」
「過去作と緩やかに繋がっているところとか?」
「うん。あとは、ほのぼのとした笑いとか、ミステリ的な捻りを効かせた技巧とかさ、長篇でなくても見所は満載だよね」
私は短篇の手軽さが好みなので、その感想には共感した。それから、ちょっと小耳にした情報を彼に教えてあげた。
「あのさ、はじめの『動物園のエンジン』は『オーデュボンの祈り』後の初短篇らしいよ。あと、この本に収録された各篇が執筆された期間は相当長くて、この小説は過去と現在の伊坂作品を繋ぐ意味合いも考えられるみたい」
「へー、そうなんだ。確かに、日常の謎や短篇ミステリ風だったり、技巧的な構成やハートウォーミングな物語って具合にこの短篇集は趣向が幅広く凝らされているから、まるで出世魚みたいな著者の成長の記録ともいえるのかもしれないね」
私は彼の言葉を聞いて、なるほどと得心するところがあった。この本は著者が作家として成長していった、その過程であり実力や実績が短篇の中で表現された成長譚とも呼べるのかもしれない。確かにそれぞれの短篇の世界が拡がるように、類似性が見られる長篇が執筆されているし、この短篇集は著者にとって、ある意味では記念碑的な作品になるのかもしれない、と素直に想像できた。
「でもさ、最近、あの言葉を聞かなくなっちゃったから、俺ちょっと悲しいんだよね」と、彼は唐突に不思議なことを口にした。
「え? 今、何て言ったの?」
「ちゃんと話聞いてた? 何か俺に隠した、イチモツでもあるの? ま、俺はあるけどさ。あれだよ、あれ、”神様のレシピ”ってやつ。俺、あの言葉好きだったんだけど、最近は全然出てこないじゃん。たまにでもいいから、あの台詞が聞きたくなる時があるんだよね」と、彼は少しふざけながらも真面目な表情で、私に訴えかけるようにそう言った。
「うん、あの台詞はほんと良いよね、何だかあったかい気分になる。けどさ、その前の言葉は不要でしょ? ちょっと物思いに耽っていただけだしさ、ほんと変に紛らわしいこと言うと、ぶっとばすよ?」

  現在
良い小説を読んだら、相応の文章を何か書こうと心掛けている。
この本は良い小説なんだけど、あまり認知されていないだろうなぁ? 恐らく著者の狙いはこうだろうけど、それが本当に読者に伝わっているんだろうか? なんて思うことは頻繁にあることだ。
小説を理解するという行為は、思いの他、孤独といえるのかもしれない。それは魚が広大な海を泳いでいるような感覚に、意外と近い状態なのかもしれない。ただ、その孤独感は、著者に難点があるわけではなく、むしろ大抵は読者側の意識に問題があるのだろう。
良質な本が売れなかったり、真意が読者に届いていなかったりしたら、いずれ著者は挫折するんじゃないだろうか? そんな杞憂を覚えてしまう時がある。だから、小説から読み取った感覚を、洩らさず長文で書き綴ってしまっているのかもしれない。荒波の大海に揉まれながら、群れを成して










でも、せっかくこんな文章にしてみても、その想いは誰かに届いているんだろうか?
売れている小説と良い小説というのは全く別物だろうし、どちらかと言えば、良い小説を自分で判断して読みたいと考えている。
伊坂作品は双方を兼ね備えた、売れていて、良質な小説なんだろう。その想いは、著作の人気からしても、充分に多くの人に届いているに違いない。いや、そんなことは他人に言われなくても、誰だって理解していることだとむしろ反論されそうだ。
嘘の話ではなく、読者の多くは「世界中の誰よりも伊坂作品を愛してます」と内心を打ち明けるのだろうし、それに何より凄いのは、「伊坂作品だから、いつもこんな文章でいられるのです」という軽妙な物語性に尽きることだろう。


『僕の孤独が魚だとしたら、そのあまりの巨大さと獰猛さに、鯨でさえ逃げ出すに違いない』