毎日を生きているなかで

わたしたちは どこかで いつも「安心」を求めている

 

これは人類共通の根っこにあるニーズのひとつなのでは

ないでしょうか

 

 

 

 

「お金が欲しい(もっと稼ぎたい)」という望みの背後を探っていくと

・・・お金があれば、安心する というところに 行き着くときがあります。

 

 

「自信を持ちたい」「自信を持てる自分になりたい」という望みの背後を探っていくと

・・ 自分に自信があれば、もっと不安がなくなって、安心が増えるから

 というところに、行き着くときがあります。

 

人と出会ったときも

「安心感が持てるかどうか」を

わたしたちは無意識に、判断しているかもしれません。

 

「この人は安心しても大丈夫な相手なのだろうか」

 

そして、「安心できる関係性」を求め

それに価値を見出したりします。

 

自分が安心できる環境を

わたしたちは いつも 探しているのです。

 

 

そして考えます。

 

どうしたら、安心できるだろうか

お金があれば安心できる と思うときは 「どうやったらお金が稼げるだろう_とか

どうやったら「お金の心配をしなくて済むようになるだろう」と

考えます。

 

 

「もっと自信があれば、もっと安心して生きていける」と

思う人は、「どうしたら自信のある自分になるだろうか」と

考え、そのために助けになりそうなことを 探し出そうとします。

 

 

安心できるパートナー

安心できるお友達

安心できる先生

安心できるコミュニティ

 

安心できる環境・・・

 

 

わたしたちは それを求めて 考え、 探し続けることに

エネルギーを向けています。

 

 

 

 

ここしばらく

毎日正午に

 

自分自身の身体感覚に

 

意識を置き続ける という練習をしています。

 

 

 

先日

気づいたことがあったので

それをすこし 書き留めておきたいと思います。

 

 

身体を感じると

それまで普通に生活して動いているときには

意識していなかったような

ちょっとした 身体の緊張感や違和感に

気づくことがあります。

 

 

そこにただ 意識を向けてみます

 

 

普段だと

たとえば

あ、首筋が凝っているなと思うと

ストレッチしたり揉んだりして

解決しようとしたりします。

 

それをせずに

そっと手をあてて

張りや違和感を感じてみる・・

 

沈黙の対話をしているようです。

 

 

 

すると 不思議なことに

身体は、それをする前よりくつろいでいて

緩んでいる感じがしました。

 

手と意識を向けた

首筋だけではなく

 

身体全体が

 

リラックスしている感じがしました。

 

 

たった 1分くらいのことです。

 

 

 

そのとき、

はっ! としました。

 

 

 

「安心」に関する 気づきです。

 

 

 

わたしたちはいつも「安心」を求めている

 

 

そして頭は

「どうしたら安心できるだろう、どうしたらもっと寛いでいられるだろう」と

必死に考えてくれている。

手段をいつも探している。求めている。

 

 

 

安心しているときの身体は ほぐれていて 寛いでいる。

 

 

 

そしていま起きたことは

 

「ただ、身体を感じる」「ただそのまま感じる」

 

ということによって

 

(たった、1分で)身体は くつろいでしまう

 

 

・・ということだった。

 

 

 

 

何が起きたわけでもない

環境が変わったわけでもないし

「安心」の担保ができたわけでもない

 

 

でも、少なくとも

1分前と比べて

 

首筋の張りは 緩んでいる

 

さらには 全身もまた

緩み

 

身体がどっしりといまここに

グラウンディングした感じだ。

 

 

 

この体験はギフトだった。

 

 

 

これもまた

「共感の魔法」の一種とも言えるかもしれない。

 

 

 

 

この体験をしたことで

わたしのマインドはまた何かを「学ぶ」ことができたかもしれない。

 

 

 

安心を必死に探し

「どうしたら安心できるのか」にベストを尽くし続けてくれていた

わたしのマインドに

 

 

新しいニュースを

届けることができたのかもしれない。

 

 

 

 

マスターの探求のワーク(2回のオンラインワークショップとオンラインサロンでの毎日のシェアを組み合わせて

16人のグループで探求しています)では

わたしは「パラスアテナとアイオロス」を選択した。

 

 

マジェンタのマスターと言われています。

 

 

普段無意識でやり過ごしている日々の生活の小さな物事に

意識を向ける

 

ということでもあります

 

 

物質界と関連した「レッド」と

スピリチュアリティと関連した「バイオレット」が重なり合った色でもあり

 

「生活の中にある愛(霊性)」という意味合いを想像することができます。

 

 

「丁寧に見る」

「丁寧に感じる」

 

ということについて

毎日、できるだけ 意識して過ごしてみる

 

 

 

なにごとでもないような

些細に思える「普通の出来事」のなかに精神性を置いてみる

 

 

「日常生活とスピリチュアリティ」という

一見かけ離れたように見える2つのステージ。

 

今回の体験は

そのワークにも大きな気づきを与えてくれたように思います。

 

 

 

写真は

今年の秋出現した

マウイ島のピンクポンドに

 

先日のリトリートに来てくださった方々をお連れしたときの写真です。

 

影絵のように顔をつくって

遊んでみました。

 

 

ピンクの池にマウイの澄んだ青い空が写りこむので

紫がかり、

マジェンタ色に見えるのです。

 

 

目に映るもの

起こりうること

日曜の些細なことのなかにも

 

恩寵は降り注いでいるのでしょう。

 

 

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